プロフィール
宇月田麻裕
作家・エッセイスト、開運研究家。ハッピネスファクトリー®代表(http://www.happiness-f.com/)。執筆、テレビ出演、講演、WEB企画プロデュース・監修など幅広い分野で活動。動物をはじめ、恋愛や結婚をテーマにした著作を数多く発表。著書に「心に残るペットと人との感動ドラマ」(学研)ほか。 

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2007年2月15日 (木)
最終回・ハムスター編6 ミルクと私の旅立ち

 前回、カタツムリの「でんでん」と「ちゅっちゃん」がお星様になった話を書きました。
 私は死というものと真剣に向き合うようになっていました。
 愛すべき存在がいなくなること。それは悲しいことです。「いなくなる」という感覚は、そこに「いた」という事実があるから実感することであり、もともと存在していなければ「いなくなる」ということはない。当たり前のことです。
 でも、この世の中のすべての存在に対し、程度の差はあれど、必ず存在は「いる」のです。
 親、兄弟、友だち、恋人、夫や妻、ペット、同級生、学校の先生、会社の同僚、先輩や後輩、ちょっぴり意地悪な上司、いじめっ子、通りすがりの人たち、ふと目があった野良猫、公園でひっそり生きる蟻、道端に咲く草花、遠い空を飛んでいく鳥たち……。
 すべてが存在なのです。
  人間は、人間を失ったときだけ悲しむのではないはず。
 悲しみの大きさは、存在との距離に比例するでしょう。
 でも、毎日のように若者の自殺のニュースが相次ぎ、理解しがたい残虐な殺人事件が報じられます。生態を脅かされた動物たちの姿が映り、姿を消していく木々の嘆きが伝えられています。
 私は、それらを見聞きするたび、毎日胸に強い痛みを感じるのです。一度も出会ったことがない人々の訃報で、一度も触れ合ったことがない動物たちの痛々しい現状で、棘で心臓を縛られたかのように苦しくなるのです。

 ※

 ハムスターの「ミルク」は、私にとって最も愛すべき存在だった。
 笑い話のように聞こえるかもしれないが、実を言うと最初はハムスターという生き物を小バカにしていた。
「きっと、人には懐かないんだろうな~。まぁ、見ているだけでも微笑ましいか」
 と、観賞のためのペットと考えていたのだ。ところがどっこい。なりふり構わず甘えてくるし、じゃれてくるし、呼べば必ずダッシュで駆け寄る甘えん坊だったので驚いた。このギャップが、深い愛情に変わっていったのかもしれない。
 またハムスターには特有の匂いがある。どこか無邪気さを感じられる甘みのある匂い? それがやみつきになり、いつもミルクのおなかの辺りをクンクンとかいだりしたものだ(変態かしら!? (^_^;))。

 2004年11月7日、そんなミルクが天国に旅立っていった。
 亡くなる数日前から食欲がなくなり、体力が低下して動作が鈍くなっていった。死を予感した私は、ミルクの生きている姿を見る1分1秒が今までよりもより大切な時間となった。片時も離れていたくなかった。なるべく仕事の打ち合わせも入れないようにした。ミルクはどんどん動けなくなっていった。
「もし、私が寝ている間に逝ってしまったらどうしよう」
 もしそうなったら悔やんでも悔やみきれない。
 そして11月7日。ミルクは、最後の力を振り絞り必死で巣から出てきた。ヨロヨロとした足取りで。転げ落ちるように、手を差し伸べた私の手に乗った。
 それからは、もうまったく動けなくなった。本当に最後の最後の力だったのだ。
 きっと私のそばで、手の上で、肌のぬくもりを感じながら逝きたいのだろう。
 どんどん呼吸が荒くなる。鼻が詰まりキュウキュウと音が鳴る。あまりのその苦しさに見ている私が堪らなくなった。
「なんで、こんな可愛い子がこんなに苦しんで死んでいかなきゃならないのか」
 私には理解できなかった。
 そして、最期に痙攣(けいれん)するかのように大きく伸びたのち、愛する子は逝った。その時、私の掌(てのひら)とミルクの身体は私の汗でぐっしょりと濡れていた。
 私は何度も何度もミルクの小さな身体を抱きしめた。

 アオムシ。でんでん。レモン。ミルク。
 アオムシに対してはさほど愛情は感じなかったけれども、私にとっての救いの神になった。当時の私は「この世の終わり」という環境の中にいた。まさか、今こうして明るい気持ちで、明るい未来の中で、動物の感動話(?)をしているなんて思いもよらないことだった。
 でんでんは初めて私に生き物と接する素晴らしさを教えてくれた。冷え切った私の心に愛を呼び覚ましてくれた。向上心を持って生きていく大切さを改めて教えてくれた。
 レモンとミルクは私の生活そのものをガラリと変えてくれるくらい、楽しみとさらなる深い愛を与えてくれた。張り詰めた糸を緩めてくれたのもこの子たちだった。
 そして本編にはあまり登場する機会はなかったものの、ハムスターの「くるみ」と出会った。ずっと病気を患っていたくるみは生きる強さを教えてくれた。

 結婚していたころ、離婚したころ、そして現在。
 いつでも彼らは私に夢と勇気を与え、その時々に必要なメッセージをくれた。
 天国に旅立っていった彼らは、確かに姿形は「いなくなった」と言える。
 しかし、私がこうして書いたり、話したりしているからには、実は「いる」のである。
 思い出として彼らが私の中に生きるという考え方もあるが、私は少しだけ違う見方をしている。
 彼らは私に「愛情」という名前の“命”を与えてくれた。今の私の心に満ちている愛情の、まさに生みの親だ。そしてもし輪廻転生というものが存在するならば、言い換えると輪廻した彼ら自身が私の命、すなわち愛情としてここに「いる」のである。
 その感情があるからこそ、世の中に起こり続けている悲劇に心が痛むと自分では思っている。私が悲しむと同時に、彼らが悲しんでいるからだ。

「僕たちがマヒロに幸せのカタチを伝えたように、マヒロも誰かに伝えてよ!」
 彼らが声をそろえて、そう言っている気がする。

 もし、今これを読んでいるあなたが己を不幸だと感じているならば。
 もし、あなたが人を殺したいほど憎んでいるならば。
 もし、あなたが自殺を考えているならば。
 もし、あなたが孤独にさいなまれているならば。
 もし、あなたが絶望感につぶされそうになっているならば。

 少しだけ立ち止まって動物を見つめてください。
 そして想像してください。
 動物が飼えなければ、動物園でもペットショップでもいいから、ちょっと立ち寄って、にらめっこをしてください。
 何も考えなくて構わないから。
 一度じゃなく、二度、三度。
 何度でも顔をつき合わせてみてください。
 どこかで、必ず彼らが“命”を与えてくれます。
 必ず。

Utsukitamahiro_and_milk  私にとってペットは、いや命そのものである彼らは、これからの人生もともに生きていく。私が死ぬその時まで、何かに気付かせてくれ、教えてくれ、そして人として成長させてくれるに違いない。
 私はこれからも、動物とともに生き、この世に存在するすべての幸せのために何かを生み出していきたい。
 現在の私の愛息でありパートナーであり名医であるウサギの「ポポ」にそう話しかけつつ、次にどんなメッセージを世の中に送っていけるのか考えている毎日です。

 さて、次回からはまた少し違った形での「どうぶつとにらめっこ」をお届けしましょう!
 楽しみにしていてくださいね!

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*、本連載は、都合により今回をもって終了することになりました。これまでのご愛読を感謝申し上げます。(yomone!編集部 2007年4月27日)


2007年2月 8日 (木)
カタツムリ編8 心へ続く長い長い一本道

 さて、久しぶりにカタツムリの「でんでん」と「ちゅっちゃん」の話に戻りましょう。
「カタツムリ編7 でんでんファミリーの愛に満ちた生活」でお話ししたとおり、でんでんとちゅっちゃんは愛しあい、たくさんの子供たちが生まれたのでした。
 その子たちの名前は「チビでんでん」。複数なので正確には「チビでんでんズ(s)」になるのでしょうが、そこはまあご愛嬌ということで(^。^;)
 でんでんファミリーは、まさに愛に満ちた生活を送っていました。しかし……。

 ※

Utsukitadenden  愛くるしい「チビでんでん」が誕生して間もなく、父親(母親も兼ねているが)の「でんでん」の体調が悪化しはじめた。
 きっと、己の中に新しい命を宿し生み出すという命のやりとりにより、かなりの体力と栄養を消耗したせいだろう。でんでんは日に日に殻に閉じこもる時間が長くなっていく。
 そして、くるべき時がきてしまったのである。

 今際(いまわ)の際。
 不思議なことに、元気のないはずのでんでんが、グゥィーンと大きく伸びをした。
 この伸びの意味を知らなかったのは私だけだった。
 でんでんが呼び寄せているかのように子供たちが彼に近づいていく。もちろん愛妻のちゅっちゃんも。
 私は彼らの一連の行動が不思議でならなかった。
 数え切れないほどのカタツムリが、でんでんを取り囲んだのだ。
 そのとき私は、この世のものとは思えない不思議な光景を目にした。
 それはまさしく自然界の奇跡なのだろう……皆がでんでんにKISSをしていくのだ。
 優しく。撫でるように。お礼を言うように。いつくしむように。

 皆のKISSを受け終えたのち、でんでんは伸びたままダラリとなり、動かなくなった。
 愛妻と子供たちに見守られながら、まるで安心したかのように。
 私は思った。
「でんでんは、力尽きる前に、愛妻と子供たちに言いたかったんだろうな……。最後に『お前たちといることができて、パパは幸せだったよ』と……。ちゃんと伝わってるよ、でんでん」
 それは秋の香りが漂う新月の日だった。
 でんでんは、お星様になった。

「でんでん……でんでん……でんでん……」

 誰しも最期はくる。
 わかっていたのに。
 泣きじゃくった。
 でんでんは、私にとっての初めてのペットであり、かけがえのない愛そのものだった。

 ちゅっちゃんは夜になっても朝になっても彼のそばから離れようとしなかった。
 いつまでもでんでんの隣にいて、でんでんを見つめていた……。
 不意に、彼女が一度だけでんでんの死を確かめるような仕草をした。
 意を決したのか、ちゅっちゃんは夫の亡骸(なきがら)の上にちょこんと乗っかったのだ。
 吸着力のなくなったでんでんの身体は、崩れ落ちるようにコロリと転がった。
 彼女は死を認めざるを得なくなったのだろう。スッと身を引くように彼のそばを離れ、それ以来二度と近づこうとしなかった。
 でんでんの死を境に、ちゅっちゃんは徐々に生きる力を失い食事もあまり食べなくなった。
 そしてでんでんがお星様になって一週間経ったある日。
 体力がなくなった彼女は、でんでんと同じように子供たちに別れを告げた。
 お別れのKISSをして……。
 その日は、でんでんとちゅっちゃんの最後の愛の結晶たちが孵化した日でもあった。

Utsukitawhere_are_now2  私にとってカタツムリの「でんでん」との出会いは偶然ではなく、私の病んだ心を癒し、何かを教えてくれるために必然的に出会ったのだと信じている。
 でんでんは、いつでも必死に何かにしがみ付き、つねに上へ上へと上ることを考え、ポジティブな生活を送っていた。もちろん彼の意志を継いだ子供たちもだ。

「マヒロ、強く生きるんだ。ヘコたれても必死で何かに食らいつけ!」
 今でも、空の上から、ときどきそんな声が聞こえてくる気がする。

 同時に、強さだけではなく命の尊さと愛の深さも伝えてくれた。
「強いだけじゃダメだよ。周りの人に対して愛を持って接するのも大事だ」
「愛があれば、そこから何かが生まれるんだ!」と……。

 愛を持ち、情熱を持つことで、そこからいとおしい命が生まれる。
「命」は、生きとし生ける存在だけを示すものではない。ときには自分の作品や成果でもあるだろう。それに触れてくれた人々の胸に生まれる“何か”でもあるだろう。
 ならば、私も星の数ほど多くの「命」を生み出して生きていこう。
 作品を、メッセージを、夢や希望の礎(いしずえ)になるものを。
 でんでんとちゅっちゃんが多くの子孫を残したように、私も多くの「幸せ」をわが子として世の中に送りだしてやりたい。
 私の仕事と人生は、そのようなものだ。

2007年2月 1日 (木)
アオムシ編6 現実に飛び立っていったものは……

 さて、久しぶりに「アオムシ」のお話に戻るとしましょう。
 2006年の8月23日にyomone!「どうぶつとにらめっこ」に初めて登場した「アオムシ君」。
 このアオムシ君は、私が心身ともにどん底にいるときを一緒に過ごしました。周囲に味方がひとりもいなかった当時の私は、藁(わら)をもつかむ思いでこの子だけを頼りに生きていたのです。
 私はアオムシがやがてサナギになり美しく生まれ変わるそのときを心待ちにしていました。
 成長を見守りながら、「この子が蝶になったら、仲間を引き連れて大群で私を守り、悪い人たちを滅ぼしてくれる」と真剣に信じてやまなかったあのころ。追い詰められていた現実を離れ、私は空想の世界の中でしか生きていくすべがなかったのでした。
 そして今回のお話。アオムシ君との劇的な(?)別れをお話ししましょう。

 ※

 毎日何度も鳴り響く嫌がらせの電話のコール。悪意に満ちた玄関のベルの音。信じがたい内容が記された嫌がらせの手紙。日々、どんな罠が待ち構えているかわからない恐怖。自分の生活が、悪意ある第三者に支配される。
 そんな状況の中で、夫が栄冠を手にするという目標を実現させるために、血の滲(にじ)むような努力もしてきた。朝の8時から深夜まで夫のサポートに徹し、寝るのは毎日明け方。過労とストレスで徐々に体は蝕まれていき、心身症、心臓弁膜症、喘息、メニエル病などさまざまな病魔に悩まされた。誰も助けてはくれなかった。それでも私は彼をトップにするという目標のために、苦しみあえぐ日々の中で努力を積み重ねた。そんな私をアオムシ君は温かく見守り、唯一の味方でいてくれた。
 やがて夫は己の信じる道で世界の頂点に立った。私と夫はともに栄光をつかんだのだ。しかし周囲の人たちは、私が地獄のような毎日を送っているとは知りもしなかった。

 サナギがいよいよ羽を広げて飛び立つ日がやってきた。むごむごと動いている。
 何やら白いものが見え始めた。
「あ~、いよいよそのときが来たのね!」
 蝶がすっぽりとサナギという殻を脱ぎ捨てた。
「モンシロチョウ?」
 キレイな白色をしていた。
 でもしばらくするとその白い生物は、色を変化させ茶色になってしまった。
「あれ!?」
 違う。蝶じゃない!
 以前、私の夢の中に出てきた美しい蝶ではなかった。ワンダーランドに連れて行ってくれたあの蝶とは、あまりにも違うその姿に驚愕し、そして落胆した。

 その茶色の生物は「蛾」だったのだ。

 やがて、その蛾はほんの少しの窓の隙間からするりと出て行き、私の元を飛び立ってしまった……。
 心の支えをなくした私は、しばらく自分がどうすべきかわからなくなり、その場に立ち尽くすだけだった。どれくらい時間が経っただろうか。
 しかし
「いつしかこの子が私を救ってくれる」という思いが再び蘇ってきた。そんな些細な希望に未来をつなげるしかなかったからだ。
 だが、さらなる悲劇が私を襲うことになる。
 蛾が飛び立った後、世界の栄冠を手にした夫は、次なる世界を夢見て、いや私と共に過ごしたこの地獄のような現実と離れたくなったのだろうか。私の元から旅立った。そして残ったのは次なる地獄、借金地獄だった。

Utsukitaaomushi とうとう本当に独りぼっちになってしまった。私は蛾のように飛び立つことができずにいた。とにかく生きることに必死だった。今日のご飯を食べるために必死だった。そんな必死に生きる歳月が過ぎた。
 結局、蝶だと思い込んでいたアオムシが仲間を連れて、悪いやつらをやっつけてくれることも、私を救い出してくれることもなかった。
 しかし、手で握りつぶせるほどの小さな命が、地獄の生活の中で一筋の光となり、希望となり、私の心を救ってくれたことは、まぎれもない真実だ。
 人間は、小さな支えを見つけられたなら、一筋の光さえあれば、生きていけるのかもしれない。だから今の私がここにいる。あのときの蛾は、もしかしたら今いる未来の私の姿だったのかもしれない。アオムシ時代、サナギ時代というプロセスを踏み、美しくはないけれども見事に成長して空に羽ばたいていく。
 人も、卵→幼虫→サナギ→成長した蛾(蝶)と歩むプロセスを踏んでこそ、本物になれるのではないだろうか。
 そう定義したならば、私が過ごした地獄の日々は、私が蛾になって羽ばたいていくために必要なプロセスだった気がする。
「ありがとう、アオムシ君。いつまでもキミのことは忘れないよ(^^♪」