プロフィール
宇月田麻裕
作家・エッセイスト、開運研究家。ハッピネスファクトリー®代表(http://www.happiness-f.com/)。執筆、テレビ出演、講演、WEB企画プロデュース・監修など幅広い分野で活動。動物をはじめ、恋愛や結婚をテーマにした著作を数多く発表。著書に「心に残るペットと人との感動ドラマ」(学研)ほか。 

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2006年11月22日 (水)
カタツムリ編5 ちゅっちゅっちゅっとチューするLOVEなキモチ

「ねぇ~、お見合いしてみない? お嫁さんを連れてきてあげるよ」
 突然こう言われたら、誰だってとまどうだろう。
 でも、カタツムリならどう思うだろうか?

 今から15年前、1991年に私は長年勤めた広告代理店を退職してハッピネスファクトリーという会社を立ち上げていた。
 当時の私はチャリティコンサートをしたり、発展途上国に寄付金を送り学校や保健施設を造るためのボランティア活動などをしていた。
 この「ハッピネスファクトリー」、すなわち“幸せ創造工房”という名前は、私の存在が世の中の役に立ち、みんなが幸せになれるように少しでも力になりたいという願いからつけたものだ。もちろん仕事でも、そのポリシーをもって日々取り組んでいた。
 1994年の結婚を機に、その気持ちが停止していたが、離婚をした1999年を境に、私の中でこのポリシーが徐々に戻りつつあった。
 原点に戻りつつあったのだろうか。いや、あえて自分の力で戻そうと意識をしていた。
「宇月田裕己」(デビュー時の名前)から「宇月田麻裕」に改名し、開運研究家として心機一転、人生の何度目かのスタートを切り、ひたすら頑張っていく。
 でんでんは、そんな私をいつも慰め、励ましてくれた。

 ただ、私の英雄であるでんでんも、ちょっとばかり寂しそうに見えるときがあった。それは1匹でぽつねんとたたずんでいるときだ。
 ひとりぽっちが寂しいのは、結婚後、誰も味方がいなかった私と同じ。でんでんと私の姿が重なり、まるで自分を鏡で見ているかのようだった。

 毎日でんでんに癒され励まされる日々が続いたある日のことだ。
 なんだかしょんぼりとしているでんでんを放ってはおけず、なんとかして慰めてあげたい、励ましてあげたいとあれこれ考えた。
「私の存在が世の中の役に立ち、みんなが幸せになれるように少しでも力になりたい」
 今こそ、私がでんでんの力になるときだ。と、やたらめったら張り切る私。
 1匹が寂しいなら、2匹になればいい。それもとびっきり仲良しの2匹に。
「この子に嫁をもらって、もっと幸せになってもらいたいなぁ」と考える私自身、「もっと家族がいたらいいなぁ。もっと賑わって寂しくなくなる」という気持ちになっていたのかもしれなかった。
 そこから、でんでんのお見合い大作戦がスタートした。

「ねぇ~、お見合いしてみない? お嫁さん連れてきてあげるよ」とでんでんに話しかけてみる。
 でんでんはぴょこんとツノを出し、すぐにひっこめる。心なしか頬を赤らめている(気がした)。
「うん。ボクもお嫁さんがいたらいいなぁと思っていたんだ」(と返事が返ってきたような気がした)。
 そんな妄想全開のさなか、妄想の勢いそのままに、妄想の産物たる「マヒロ結婚相談所」を開設してみる。

 まずはおひとりめの方「デンスケ」さん、どうぞ。
 でんでんはどうも気に入らない。逆に怖がっている様子だ。
 では、おふたりめの方「チビちゃん」さん、どうぞ。
 でんでんは怖がってはいないが、好みのタイプではなかったようだ。

 どれだけ欲張りなんだ、お前は!?

 原因はすぐに分かった。この2匹はカタツムリの種類が違っていて、大きさが異なったから失敗に終わったのだ。
 ならば。
 最後に送り込んだ刺客……いや、花嫁候補の「ちゅっちゃん」。
 種類は同じ。大きさも申し分なし。どう見ても美カタツムリだ。
 さあ、結果はいかに……?

 ちゅっちゅっちゅっちゅっ♡
 チュ~ッ(^3^)~♥

 ……ナンダソレ?

 でんでんは、ちゅっちゃんを見るなり、猛アプローチ。
「OH! なんてかわいい子なんだろう!」
 でんでんはそう思ったに違いなかった。なぜなら、めちゃめちゃ気に入った彼女にすぐに近づき……ボディコンタクトをとりはじめたからだ。
Body_contact  冬の駅のホームでずっと抱き合っている熱烈カップルよりある意味アツい。
 恥じらいも何もない。
 イタリア男性か。
 欧米か。

 もう、くっつきまくり、いちゃいちゃいちゃいちゃしまくり(――;)
 見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
 まさに「ハッピネスファクトリー」である。

 ちなみに、カタツムリが愛し合うときには男女の区別がないため、どっちも女性の役割をしたり、男性の役割をしたりする。
 こんなふうに幸せそうなでんでんの顔(というより全体的に)を見ていると、私自身も幸せを感じられた。でんでんとちゅっちゃんの結婚プロデュースに成功した私は、なんとなく理解する。

 愛はいいものだ。
 愛がある生活は必ず手に入る。
 私は間違っていない。
 どんな人(カタツムリ)だって幸せにできるんだ。

 そして、この息子(か娘か分からないが)の結婚を境に、私の背には「ポジティブ」という羽が生え始め、大きく飛び立っていける自信がついていった。

2006年11月10日 (金)
カタツムリ編4 上へ上へ。指のてっぺんへ行け、でんでん!!!

 さて、久しぶりに「カタツムリ」の話に戻るとしましょう。
 アオムシと一緒に暮らしていた時代は、「私の結婚生活、この暗くて長いトンネルは果たしてどこまで続くのであろうか」と、毎日考えてはもがき苦しみ、明るさというものを忘れてしまっていた冬の時代だった。
 だが、その身も凍えるようなときの中で、夫はひとつの夢をかなえ、私たちは栄冠を手に入れ、夫婦としての夢を実現させた。
 そんな冬の時代が終わりかけようとしていた頃、私は彼から、突然別れを切り出された……。ただ私たち夫婦には、常識的には考えられないような出来事が重なり続け、5年間の結婚生活を破綻させていった。彼は、別れの言葉とともに、旅立った。夫婦の間にあった、数千万円もの借金だけを私の元に残して……。
 平常心ではない私の神経はさらに乱れ、常識では考えられないような考えにとらわれたりと、ややノイローゼ気味だったともいえるかもしれない。
 そんなときに、カタツムリの「でんでん」と出会ったのだった。

 ※

 可愛いうちの子「でんでん」と暮らし始めて、数ヵ月という月日が経った。
 一人ぼっちの私は、毎日、何時間もの間、暇さえあればただ、でんでんを眺めては話しかけていた。それだけで、生活がだいぶ変化していった。
 やがて、心の闇が真っ黒からグレー(?)に薄まるころ、人と会うのが怖くなくなった。以前は、電話のベルや家のインターホンが鳴るだけで、体が震え、電話やインターホンを取る手が震えて取れなかった。人と話そうとすると頭の回路と口の動きが一致せず、自分で言いたいことがあるのに、まともに話すことができなかった。さらには、声を出そうとすると、不定期に脈打つ心臓が肺を刺激して、咳き込んで話せなかった。めまいが止まずに吐いてばかりいた。
 こんな身体なので、外出もままならなかった。

 結婚をしていた5年間は、私を悩ませた数々の出来事、夫の夢をかなえるために、とにかく必死に頑張った。
 どんな試練が起きようともそれは自分にとっては必要な試練。何があろうとも、今の生活を手放してはいけないと、毎日のように言い聞かせた。
 途中放棄もできたし、逃げ出すことなんて、いくらでもできたのに……。でも、私はそれをしなかった。とにかく頑張りぬいた。身体がどんなにボロボロになろうとも……。

 このときの思いは、自分では正しかったのかどうかはわからないが……。
「私はそれを自分で好きでやっていた」
「私は自分で、彼と生きることを選択して、結婚をすると決心して、彼が栄冠を手に入れるためにどんな努力も惜しまない」
 それらは、すべて自分で選択して、自分で決心したこと。そこにどんな苦しみがあろうと耐え抜く。どんな現実が起きようと、誰を恨むことなく、ただそれを受け入れようと決めていた。
 その生活を捨ててしまい、楽なほうへいこうと思えばいけたのだし、捨てることだって出来たはずだったから……。それをやらなかったのは私自身なのだから。
 正直、彼に別れを告げられたとき、「あなたにこんなに尽くしてあげたのに、あなたのために5年間、ただ頑張り続け、耐え続けたのに、なぜ……」と思った。
 だが、すぐに私はその考えを払拭し去った。それは決して楽なことではなかったが、現実は、自分で選んでいたことなのだから、と自分に言い聞かせた。
「やってあげた」というのは、自分の勝手な思い込みであり、もしかしたら彼は、「してもらった」なんて少しも思っていないのかもしれないのだから……。

Theop_of_the_world  でんでんを見ていると思う。
 私の手に乗せると、いつも上へ上へと上っていく。指の天辺まで上って行く。いつも前向きだ。後ろを振り返ることはない。

「イッツ、ポジテイブスィンキング!!! (^^)v」
 まるでそう言っているかのようだ。

 そして、指の天辺まで行くと「どうしようかな~」と首を左右に振る。つまり人生の岐路に立ったとでもいうべきであろうか。でんでんは一瞬迷ったとしても、選択する道は、いつでも、前へ前へと進む方向だ。

 そんな姿を見て思う。ときに後ろを振り返るのは必要だが、後ろ向きに歩くことはいいとはいえない。
 つねに、前へ前へ、上へ上へと歩くべきではないだろうか。

 でんでんが指先を目指す姿を見て私は決めた!
 まずは、話すことができなくなった自分の改革。
 早速「話し方教室」に通いだした。すると不思議なことに、TBSテレビ「ワンダフル」という番組のレギュラー出演の話が舞い込んできた。もちろん、営業の成果もある。
 次に「アナウンサー学校」へ通うことにした。今でも、話をするのはあまり得意ではないが、以前よりかはちょっとはましになったと自分では思う。
 そして、会社員時代から仕事好きだった私は、(ちなみに社内で残業の時間はいつも上位ランク)とにかく仕事をしまくった。このときの私は、仕事ができることが最大の喜びであった。仕事をすればするほど、「生きている軌跡」を残せるのが、歓喜に変わっていった。自分の存在価値が見出せた気がした。私はまだ世の中に必要とされているのかもしれない、まだ、使命があるのかもしれないと思えるようになった。

 前へ前へ、もっと上へ上へ、そこまでたどりついたなら、さらにもっと上へ。
 今でも、その気持ちは変わらない。
 私が味わったこの数年間の試練は、私を大きく成長させてくれた。そして、自信につながった。
「これを乗り越えられたのだから、この先の人生、どんなことが起きようとも、何があろうとも乗り越えられる自信がある」
 私は、でんでんに向かって、いつもこう言っていた。するとでんでんはいつも、大きくうなずいてくれる気がした。
 私に生きる勇気をくれたでんでんは、神様が私へ紹介してくれた「最高の指導者」だったのだ。