「ねぇ~、お見合いしてみない? お嫁さんを連れてきてあげるよ」
突然こう言われたら、誰だってとまどうだろう。
でも、カタツムリならどう思うだろうか?
今から15年前、1991年に私は長年勤めた広告代理店を退職してハッピネスファクトリーという会社を立ち上げていた。
当時の私はチャリティコンサートをしたり、発展途上国に寄付金を送り学校や保健施設を造るためのボランティア活動などをしていた。
この「ハッピネスファクトリー」、すなわち“幸せ創造工房”という名前は、私の存在が世の中の役に立ち、みんなが幸せになれるように少しでも力になりたいという願いからつけたものだ。もちろん仕事でも、そのポリシーをもって日々取り組んでいた。
1994年の結婚を機に、その気持ちが停止していたが、離婚をした1999年を境に、私の中でこのポリシーが徐々に戻りつつあった。
原点に戻りつつあったのだろうか。いや、あえて自分の力で戻そうと意識をしていた。
「宇月田裕己」(デビュー時の名前)から「宇月田麻裕」に改名し、開運研究家として心機一転、人生の何度目かのスタートを切り、ひたすら頑張っていく。
でんでんは、そんな私をいつも慰め、励ましてくれた。
ただ、私の英雄であるでんでんも、ちょっとばかり寂しそうに見えるときがあった。それは1匹でぽつねんとたたずんでいるときだ。
ひとりぽっちが寂しいのは、結婚後、誰も味方がいなかった私と同じ。でんでんと私の姿が重なり、まるで自分を鏡で見ているかのようだった。
毎日でんでんに癒され励まされる日々が続いたある日のことだ。
なんだかしょんぼりとしているでんでんを放ってはおけず、なんとかして慰めてあげたい、励ましてあげたいとあれこれ考えた。
「私の存在が世の中の役に立ち、みんなが幸せになれるように少しでも力になりたい」
今こそ、私がでんでんの力になるときだ。と、やたらめったら張り切る私。
1匹が寂しいなら、2匹になればいい。それもとびっきり仲良しの2匹に。
「この子に嫁をもらって、もっと幸せになってもらいたいなぁ」と考える私自身、「もっと家族がいたらいいなぁ。もっと賑わって寂しくなくなる」という気持ちになっていたのかもしれなかった。
そこから、でんでんのお見合い大作戦がスタートした。
「ねぇ~、お見合いしてみない? お嫁さん連れてきてあげるよ」とでんでんに話しかけてみる。
でんでんはぴょこんとツノを出し、すぐにひっこめる。心なしか頬を赤らめている(気がした)。
「うん。ボクもお嫁さんがいたらいいなぁと思っていたんだ」(と返事が返ってきたような気がした)。
そんな妄想全開のさなか、妄想の勢いそのままに、妄想の産物たる「マヒロ結婚相談所」を開設してみる。
まずはおひとりめの方「デンスケ」さん、どうぞ。
でんでんはどうも気に入らない。逆に怖がっている様子だ。
では、おふたりめの方「チビちゃん」さん、どうぞ。
でんでんは怖がってはいないが、好みのタイプではなかったようだ。
どれだけ欲張りなんだ、お前は!?
原因はすぐに分かった。この2匹はカタツムリの種類が違っていて、大きさが異なったから失敗に終わったのだ。
ならば。
最後に送り込んだ刺客……いや、花嫁候補の「ちゅっちゃん」。
種類は同じ。大きさも申し分なし。どう見ても美カタツムリだ。
さあ、結果はいかに……?
ちゅっちゅっちゅっちゅっ♡
チュ~ッ(^3^)~♥
……ナンダソレ?
でんでんは、ちゅっちゃんを見るなり、猛アプローチ。
「OH! なんてかわいい子なんだろう!」
でんでんはそう思ったに違いなかった。なぜなら、めちゃめちゃ気に入った彼女にすぐに近づき……ボディコンタクトをとりはじめたからだ。
冬の駅のホームでずっと抱き合っている熱烈カップルよりある意味アツい。
恥じらいも何もない。
イタリア男性か。
欧米か。
もう、くっつきまくり、いちゃいちゃいちゃいちゃしまくり(――;)
見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
まさに「ハッピネスファクトリー」である。
ちなみに、カタツムリが愛し合うときには男女の区別がないため、どっちも女性の役割をしたり、男性の役割をしたりする。
こんなふうに幸せそうなでんでんの顔(というより全体的に)を見ていると、私自身も幸せを感じられた。でんでんとちゅっちゃんの結婚プロデュースに成功した私は、なんとなく理解する。
愛はいいものだ。
愛がある生活は必ず手に入る。
私は間違っていない。
どんな人(カタツムリ)だって幸せにできるんだ。
そして、この息子(か娘か分からないが)の結婚を境に、私の背には「ポジティブ」という羽が生え始め、大きく飛び立っていける自信がついていった。

