「ナニこれ? 小石かな~?」。
台所の流し台で、なにやらムゾムゾと動いている。
「あれ~?」と思ってステンレス壁をよく見てみると、そこには生まれたばかりであろう、2mmほどのカタツムリが1匹いた。その子は、流されぬように必死にしがみついていた。
私が「どうぶつは家族だ」「ペットは家族だ」と意識するようになったきっかけは、このカタツムリの「でんでん」(でんでんと名付けた)との出会いだろう(たぶん世の中的に「動物」というよりかは「虫」だと思うが……)。そう! 私の元に突然やってきたこの子だ。
結婚をしていた私は、でんでんがやってくるまで、5年もの間、苦しんでいた。そして、世の中が明るくなり、新世紀に向けて「ミレニアム」と騒き始めるころ、結婚生活は崩壊した。
「暗くて長いトンネルは果たしてどこまで続くのであろうか」と、毎日考えていた5年間。明るさというものを忘れてしまっていた冬の時代……。
そんなある日、追い討ちをかけるようにして、夫から突然別れを切り出された。思いもよらぬ彼からの言葉に一瞬耳を疑った。
ただ私たち夫婦には、常識的には考えられないような出来事が、5年間の結婚生活のそこかしこに点在していた。破綻はしっかりと足音をたてて、近づいていたのだ。
いつも2人で言っていた。「私たち夫婦は、もう一生ぶん、一緒にいるよね」と……。確かに一緒にいた5年という期間には、一生分の苦労と愛憎に匹敵する時間の密度があったと思う。
もちろん、2人にとって苦しいことばかりではなく、障害を乗り越え栄冠を手にしたという喜びもあった。だが、それさえもかすんで見えなくなってしまうほどに、つらいことの方が多かったのだ。
彼は、別れの言葉とともに、旅立った。数千万円もの借金だけを、私の元に残して……。
それからは筆舌に尽くしがたい。平常心ではない私の神経はさらに乱れ、常識では考えられないような考えにとらわれたりと、ややノイローゼ気味だったともいえるかもしれない。
「このまま借金を抱えどうやって生きていったらいいのかな……」。私の心に弱気が巣くい、そのささやきはやがて怒号となって私をさいなむ。
ただただ、生きるということに必死だった。それ以外、何もない。でも「生きる」という考えがあるだけでも、当時の私はまともだった。
流し台にへばりついたまま、「絶対に流されるもんか!」と根性を見せるカタツムリ。
ただ、そこにいて「生きようとする」でんでんの姿。はっきりと私の心に「生きる」とする強い意志が伝わってきた。
「絶対に流されてはいけない。負けてはいけない。この子と一緒にがんばりたい。生きていこう」と。
偶然ではない、でんでんとの出会い。そこに、私へのエールがこめられていると感じた。
追伸
今まで約半年の間、書き連ねてきた「どうぶつとにらめっこ」。あたたかいコメントをもらい、多くの人に応援をしていただき、お声をかけていただきました。
ここ1ヵ月強の間、我が家のハムスター・くるみ、そして、くるみの嫁が亡くなり、家にはチカラだけとなりました。
そんなある日、ホーランドロップ(うさぎ)のポポを迎えることになりました。チカラとポポとの新生活が始まり、ふと胸に湧き上がったこと。それは、数多くの動物に助けられてきた感謝の念と、自分自身の原点にかえりたい衝動です。
動物のいる暮らしは明るく楽しいものです。
そして、動物は人を救い、なだめ、癒(いや)します。
前回のブログアップから少し構想に時間がかかりましたが、ここで私が動物たちに救われてきた話、つまり「どうぶつとにらめっこ」の原点となるお話を書いていこうと思います。お楽しみに!
