前回、カタツムリの「でんでん」と「ちゅっちゃん」がお星様になった話を書きました。
私は死というものと真剣に向き合うようになっていました。
愛すべき存在がいなくなること。それは悲しいことです。「いなくなる」という感覚は、そこに「いた」という事実があるから実感することであり、もともと存在していなければ「いなくなる」ということはない。当たり前のことです。
でも、この世の中のすべての存在に対し、程度の差はあれど、必ず存在は「いる」のです。
親、兄弟、友だち、恋人、夫や妻、ペット、同級生、学校の先生、会社の同僚、先輩や後輩、ちょっぴり意地悪な上司、いじめっ子、通りすがりの人たち、ふと目があった野良猫、公園でひっそり生きる蟻、道端に咲く草花、遠い空を飛んでいく鳥たち……。
すべてが存在なのです。
人間は、人間を失ったときだけ悲しむのではないはず。
悲しみの大きさは、存在との距離に比例するでしょう。
でも、毎日のように若者の自殺のニュースが相次ぎ、理解しがたい残虐な殺人事件が報じられます。生態を脅かされた動物たちの姿が映り、姿を消していく木々の嘆きが伝えられています。
私は、それらを見聞きするたび、毎日胸に強い痛みを感じるのです。一度も出会ったことがない人々の訃報で、一度も触れ合ったことがない動物たちの痛々しい現状で、棘で心臓を縛られたかのように苦しくなるのです。
※
ハムスターの「ミルク」は、私にとって最も愛すべき存在だった。
笑い話のように聞こえるかもしれないが、実を言うと最初はハムスターという生き物を小バカにしていた。
「きっと、人には懐かないんだろうな~。まぁ、見ているだけでも微笑ましいか」
と、観賞のためのペットと考えていたのだ。ところがどっこい。なりふり構わず甘えてくるし、じゃれてくるし、呼べば必ずダッシュで駆け寄る甘えん坊だったので驚いた。このギャップが、深い愛情に変わっていったのかもしれない。
またハムスターには特有の匂いがある。どこか無邪気さを感じられる甘みのある匂い? それがやみつきになり、いつもミルクのおなかの辺りをクンクンとかいだりしたものだ(変態かしら!? (^_^;))。
2004年11月7日、そんなミルクが天国に旅立っていった。
亡くなる数日前から食欲がなくなり、体力が低下して動作が鈍くなっていった。死を予感した私は、ミルクの生きている姿を見る1分1秒が今までよりもより大切な時間となった。片時も離れていたくなかった。なるべく仕事の打ち合わせも入れないようにした。ミルクはどんどん動けなくなっていった。
「もし、私が寝ている間に逝ってしまったらどうしよう」
もしそうなったら悔やんでも悔やみきれない。
そして11月7日。ミルクは、最後の力を振り絞り必死で巣から出てきた。ヨロヨロとした足取りで。転げ落ちるように、手を差し伸べた私の手に乗った。
それからは、もうまったく動けなくなった。本当に最後の最後の力だったのだ。
きっと私のそばで、手の上で、肌のぬくもりを感じながら逝きたいのだろう。
どんどん呼吸が荒くなる。鼻が詰まりキュウキュウと音が鳴る。あまりのその苦しさに見ている私が堪らなくなった。
「なんで、こんな可愛い子がこんなに苦しんで死んでいかなきゃならないのか」
私には理解できなかった。
そして、最期に痙攣(けいれん)するかのように大きく伸びたのち、愛する子は逝った。その時、私の掌(てのひら)とミルクの身体は私の汗でぐっしょりと濡れていた。
私は何度も何度もミルクの小さな身体を抱きしめた。
※
アオムシ。でんでん。レモン。ミルク。
アオムシに対してはさほど愛情は感じなかったけれども、私にとっての救いの神になった。当時の私は「この世の終わり」という環境の中にいた。まさか、今こうして明るい気持ちで、明るい未来の中で、動物の感動話(?)をしているなんて思いもよらないことだった。
でんでんは初めて私に生き物と接する素晴らしさを教えてくれた。冷え切った私の心に愛を呼び覚ましてくれた。向上心を持って生きていく大切さを改めて教えてくれた。
レモンとミルクは私の生活そのものをガラリと変えてくれるくらい、楽しみとさらなる深い愛を与えてくれた。張り詰めた糸を緩めてくれたのもこの子たちだった。
そして本編にはあまり登場する機会はなかったものの、ハムスターの「くるみ」と出会った。ずっと病気を患っていたくるみは生きる強さを教えてくれた。
結婚していたころ、離婚したころ、そして現在。
いつでも彼らは私に夢と勇気を与え、その時々に必要なメッセージをくれた。
天国に旅立っていった彼らは、確かに姿形は「いなくなった」と言える。
しかし、私がこうして書いたり、話したりしているからには、実は「いる」のである。
思い出として彼らが私の中に生きるという考え方もあるが、私は少しだけ違う見方をしている。
彼らは私に「愛情」という名前の“命”を与えてくれた。今の私の心に満ちている愛情の、まさに生みの親だ。そしてもし輪廻転生というものが存在するならば、言い換えると輪廻した彼ら自身が私の命、すなわち愛情としてここに「いる」のである。
その感情があるからこそ、世の中に起こり続けている悲劇に心が痛むと自分では思っている。私が悲しむと同時に、彼らが悲しんでいるからだ。
「僕たちがマヒロに幸せのカタチを伝えたように、マヒロも誰かに伝えてよ!」
彼らが声をそろえて、そう言っている気がする。
※
もし、今これを読んでいるあなたが己を不幸だと感じているならば。
もし、あなたが人を殺したいほど憎んでいるならば。
もし、あなたが自殺を考えているならば。
もし、あなたが孤独にさいなまれているならば。
もし、あなたが絶望感につぶされそうになっているならば。
少しだけ立ち止まって動物を見つめてください。
そして想像してください。
動物が飼えなければ、動物園でもペットショップでもいいから、ちょっと立ち寄って、にらめっこをしてください。
何も考えなくて構わないから。
一度じゃなく、二度、三度。
何度でも顔をつき合わせてみてください。
どこかで、必ず彼らが“命”を与えてくれます。
必ず。
私にとってペットは、いや命そのものである彼らは、これからの人生もともに生きていく。私が死ぬその時まで、何かに気付かせてくれ、教えてくれ、そして人として成長させてくれるに違いない。
私はこれからも、動物とともに生き、この世に存在するすべての幸せのために何かを生み出していきたい。
現在の私の愛息でありパートナーであり名医であるウサギの「ポポ」にそう話しかけつつ、次にどんなメッセージを世の中に送っていけるのか考えている毎日です。
さて、次回からはまた少し違った形での「どうぶつとにらめっこ」をお届けしましょう!
楽しみにしていてくださいね!
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*、本連載は、都合により今回をもって終了することになりました。これまでのご愛読を感謝申し上げます。(yomone!編集部 2007年4月27日)





