軟禁状態 イン マニラな~のだ
前回お話ししたように、フィリピンでの映画は製作中止ということになってしまい、ワシら日本人スタッフはフィリピン側のコーディネーターにパスポートを返してもらえず、日本に帰国しようにも出来ない状態になってしまった。おまけに、月々支払われるはずのギャラもストップしてしまった。
結果だけ先に言ってしまうと、この軟禁状態は、約2週間続いたのだが、一番困ったのは、やはり、金がほとんどなかったことだ。ワシら日本人スタッフ(助監督と制作助手)の全員が、20代で若いがゆえに、貯金など蓄えておらず、ましてやクレジットカードなどといった洒落たものなど誰も持ってはいなかった。みんな、現地で渡される約束だった月々のギャラだけが頼みの綱だったのだが、それさえもストップされてしまった。
ワシらの軟禁生活は、貧乏だった。
死んだ魚の目の大人と物乞いの子供たち
金もない、仕事もない、パスポートもない。あるのは、うだるような暑さの中で、ダラダラと流れていく時間のみ。何もすることがないワシらは、何の計画性もない毎日を過ごしていた。
やることがないので、とりあえず外出し、思いつくままにあちこち歩き続ける。公園やデパート、海岸、教会……。ワシらの滞在していたエルミタという地区は、どこに行っても、昼間から働きもせず、ダラダラと時間をつぶす男たちが大勢いる。男たちは、ワシらが日本人だと見ると必ず、「シャッチョーサーン! オンナノコ、ショウカイスルヨ」と言いながら近づいてくるが、ワシらが金を持っていないとわかると、途端に興味を失くし去っていく。奴らは、死んだ魚のようなドンヨリとした目をして、再びベンチに寝転がる。ワシは心の中で思う。「人間、なんの目的や計画性もなく生活していると、ああなってしまうんだなあ。今の俺たちも奴らと同じようなもんかも知れん」と。
ワシがボンヤリ考え込んでいると、傍らから声がかかった。物乞いの子供たちだ。彼らは、ボロボロの服を着て、「オカアサン、ビョウキ。トウサン、シンダ。シャッチョーサン、オカネチョウダイ」と身振り手振り全身で迫真の泣き演技を見せる。先ほどの無気力そうな男とは違い、子供たちは物乞いをするにもエネルギッシュだ。ひとりがワシに物乞いをしていると、他の子供たちもどんどん集まってくる。こいつら、俺がちと優しい顔してるからって金出してくれると思ってるな。ひょっとして俺、ガキどもにナメられてる? ワシが無視して子供たちから去っていくと、ワシの背中に向かって、誰に教えてもらったのか、「ケチ!」と日本語で全員が叫ぶのだ。
海岸に出ても子供たちは元気だった。近くの海は、あまりにも汚く、決して泳いだり水浴びしたりしようとは思えないのだが、現地の子供たちはキャッキャッとはしゃぎながら満面の笑顔で水遊びをしている。あんな水の中にいて、病気になってしまうのではと心配してしまうが、きっと彼らは免疫があるのだと思われる。氷入りのビール飲んだだけでウエルカムシャワーになってしまったデリケートなワシとは大違いじゃ。
こ、これが日本のオヤジか? 情けないぞい!
ワシらのアパーテルの入り口には、銃を肩からさげた制服姿のガードマンがいつも常駐している。働かない男たちからの「オンナノコショウカイスルヨ」攻撃と、物乞いの子供たちからの「オカネチョーダイ」攻撃と、あまりにも高い気温にウンザリしながら、ワシらがアパーテルにもどってくると、ガードマンの彼は、ニコニコしながらワシらに「オンナノコショウカイスルヨ」と声をかけてくる。「お前もか!」と思わずツッコミを入れ、「この国はいったいどうなっとるんだ!」と思いながら部屋に入ると、知らないフィリピン人の女性がソファーに座っていた。
「君、だれ?」と質問するワシらに彼女は、「ココ、ニホンジンイル、キイタ。ワタシ、マッサージスル、キモチイイヨ、シャッチョーサン」と当たり前のように語る。「マッサージなんかいらないから、出て行って。それに俺らシャッチョーサンじゃないんだけど」とワシが答えると「ワタシ、モットイイコトデキル、キモチイイヨ。ニホンジン、キモチイイコトスキネ、シャッチョーサン」と、その不健康そうな顔色のフィリピン人女性は、部屋からなかなか出て行こうとしない。仕方ないので、ワシは「俺たち、実はみんなホモで女に興味ないから、出て行ってくれ」と追い出した。彼女は扉の外から、「アナタタチ、カワイソウネ」と捨て台詞(ぜりふ)を吐き去っていく……。「こいつら! いったい日本人をなんだと思っとるんだ!」と頭に来るワシではあったが、仕方ないのかも知れん。
なぜなら、実際、昼からやることもなく人間観察をしていると、マニラの街中には、遊び金をフンダンに持っていそうで、「シャッチョーサン」と呼ばれると喜び、頭の中は常にエロエロ状態でいつも女性を買うことばかり考えているように見える日本人のオジサンたちが、あまりにも多いのだ。マニラに住む彼ら彼女らにっては、日本人の印象は、どうしてもああなってしまうのかも知れん。だから、日本人を見れば、若く(当時)貧乏そうなワシらにさえも「シャッチョーサン」と声をかけてくるのだろう。
あのとき、エルミタの焼けるようなアスファルトにしゃがみ込み、ワシは、そんな日本人のオジサンたちを観察しながら、「あのオジサンたちも日本に帰れば、きっと『シャッチョーサン』ではなく、真面目な会社の課長や部長だったりするんだろうし、フィリピンでは若い女の子を連れ歩き『パパ』気取りだが、日本に帰れば自分の娘さんと買い物に出たりする『お父さん』なのだろう……」とボンヤリ考えていた。
そして今、いちおう、小さな会社の社長になり、父親にもなったワシは、こう思っておる。「シャッチョーサン」と呼ばれ喜んだり、「パパ」気取りでデレデレするオジサンではなく、しっかりした「社長」で、しっかりした「父親」である、立派なニッポンのオヤジになってみせるぞい、と。
誕生日とパスポート
軟禁状態の間、照りつける陽に肌は真っ黒に焼け、髪の毛も髭も伸び放題、その辺をプラプラしていると、昼間から働く気のないフィリピン人の男たちと見た目の違いがわからないくらい、現地人とどんどん同化していく。やがては歩いていて道を聞かれるようになってしまったくらいである。
その日その日をそんなふうに流されるまま生きながら、2週間近くが経とうとする頃、ワシの29歳の誕生日がやって来た。こんな場所でこんな状態のまま、ワシは20代最後の誕生日を迎えようとしていた。だが、そんなときにありがたいことを言ってくれる人もいたのだ。
ワシらの滞在していたアパーテルの1階に現地の旅行代理店があったのだが、そこの社長である女性が、なんとワシの誕生日パーティーを会社でしてくれるというのだ! 前日、彼女はワシに「タメイケ、アシタノゴゴ、カイシャクルネ。ミンナデ、ジュンビシテマッテルカラ」と笑顔で、会社の社員たちと盛り上がって言ってくれたのだ!
翌日、大喜びのワシは、洗濯したてのシャツを着込み、日本人スタッフ皆を誘って、その旅行代理店まで足を運んだ。皆は、「どんな料理が出るんだろう」と、腹をすかしながらも、その足取りは軽い。
そして、招かれたその場所に到着したのだ!
……アレ? 一瞬、場所を間違えたかと思った。想像では、今頃、ケーキや料理が並べられ、少しの飾りつけなどがされている会社の中で、クラッカーとかパンパンと打ち鳴らされ……のはずだったのだが、なんと! シャッターが閉まっておるではないか! ……最初は、驚かそうとしているのかと思った。が、会社のシャッターは、1分の隙間もなくビッタリと閉められ、鍵も何重にもしっかりかけられ、人っ子ひとりとしている気配はなし!
……やられた。やはり、やられた。でもしょうがない。いいんだ、これもフィリピンの習慣なんだ、きっと。でも、ひと言だけ言わせてくれ……。フィリピン人の嘘つきーーー! (ワシの声がコダマする)……が! しかーし! がっかりして部屋に帰ったワシに思いもかけない誕生日プレゼントがやってくることになったのだ。
フィリピン最終章
ピンポーン!
がっかりして帰ったワシらの部屋にチャイムがなる。ドアを開けると、なんとフィリピンの映画スタッフ10人ばかりが、手に料理やプレゼントを持って、ワシの誕生日を祝いにやってきたのだ!
テーブルに並ぶ、七面鳥や貝や魚、そして特大のチョコレートケーキなど。各料理は、スタッフたちの奥さんが朝から作ってくれたらしい。ご馳走を前に、ワシは空腹にもかかわらず、胸がいっぱいになってしまった。そして、再び、ピンポーンのチャイムが鳴る。
やってきたのは、フィリピン側のコーディネーターと、日本側のプロデューサーだ。彼らは笑顔で部屋に入ってきたと思うと「ご苦労様でした。いつかまた必ず、一緒に仕事をしましょう」とワシら日本人スタッフに声をかけながら、パスポートを返してくれたのだよ! やっと、日本に帰れるぞい! ワシらは、料理をガツガツ食べ、ビールをジャンジャン飲んだ。映画はポシャってしまったが、みんな笑顔で再会を約束しあっていた。
4日後、ワシらは、日本への帰路についた。
飛行機の中で、ワシは、この1ヵ月を思い出していた。エゲツないがパワフルな街・マニラ、そこで出会った多くの人間、2週間の軟禁期間……。フィリピンでの記憶は、決して美しいものとは言えないかも知れん。しかし、現在のワシにとっての教訓が多く含まれた経験だった。そう、ワシはフィリピンでのことを思い出すたびに、いつも頭の中でこう叫ぶのだ! ……「ワシは、立派なニッポンのオヤジになってみせるぞい!」と。
これで、ワシの20代編を終了しようと思う。で、次回からは、再び現代のワシ、つまりオヤジのワシのことに話題を戻して、「オヤジ革命」を語るぞい! 「オヤジ革命」の本番は、これからじゃー!!
