いきなり汚い話でスマン
激しい嘔吐と下痢の繰り返しは、丸3日間続いた。その間ずっと、ワシはベッドとユニットバスのシャワールームとの往復だった。
敢えて汚い話をするが、「ゲロ」と「ゲリ」、一字違いで大違いなはずなのに、この3日間の「ゲロ」と「ゲリ」の繰り返しのせいで、ワシの脳味噌は、両者の境目が全くわからなくなるような状態に陥ってしまった。いま、「便器に座って出す」のか、「便器に頭を突っ込んで吐く」のか、間違えると大変なので、途中からは頭の中で「ゲリ」と「ゲロ」の確認をしながらトイレに駆け込むようになったのだよ。
実際、トイレに座ったのに、嘔吐してしまったことがあった。体を吐しゃ物で汚しても拭く気にもならずに、「今の俺にとっては、ゲロでもゲリでもどっちでも一緒ジャンか」と、朦朧とした頭でボンヤリと考えていた溜池青年でござる……。
そして、ようやっとウェルカムシャワーも治り、仕事に参加することになったワシは、この3日間の遅れを取り戻そうと、必死に打ち合わせやロケハン(ロケーションハンティング:撮影場所探しと下見みたいなこと)に動いた。ワシら日本人と、アメリカ人、フィリピン人の混成スタッフの間も、結構うまくやれていた。ただ、フィリピン人の遅刻癖以外は……。
例えば、ロケハンに行くため、フィリピン人スタッフの車両部の運転するロケバスを待っていると、集合時間より2時間も遅れたり、打ち合わせの時間にフィリピン人スタッフだけが皆いっせいに30分遅れてきたり。ワシら日本人スタッフとアメリカ人の監督は、最初のうちこそ怒っていたが、彼らが全く懲りないので、彼らの遅刻癖を「フィリピーナタイム」と呼び、フィリピンの習慣としてとらえることにした。
が、遅れてきた彼らの言い訳は、みんな毎度「子供が熱を出した」とか「お母さんが病気になった」とか、「おじさんが死んだ」とか……。これって、前回お話ししたフィリピン人のホステスさんの不幸話と同じではないか!
ワシは思った。「嘘つきも、フィリピンの習慣なのだな。フィリピン人の嘘つきー!」と。……あ、もちろん、フィリピンの人みんなのことを言っているのではなく、たまたまワシの出会ったフィリピン人の一部のことだし、他のどの国の人間にも嘘つきはいっぱいいることくらいはわかってるので、悪しからず。
最初の2週間
マニラでの最初の2週間は瞬く間に過ぎ去った。
セカンド助監督だったワシは、現地の衣装部との打ち合わせと、端役のキャスティングの進行に多くの時間をとられた。ただでさえも、決して勤勉ではない、というかサボり癖のあるフィリピン人スタッフたちに、仕事や作業の進行を速くさせるため、ワシら演出部は必死に彼らの尻を叩いた。
ちなみに言うと、衣装部の現地スタッフの男は全員オカマさんだった。打ち合わせ中、全員がやたらとシナを作って話し合うので、ヤキモキしながらも、ワシまでシナを作って話すような感じになってしまった。彼らに衣装の出来上がりの期日を守ってもらえるのか信用できず、時たまワシがイライラしたりすると、中のリーダーみたいなオジサン(オバサン?)が、ワシの手を握り、「Take it easy」と微笑んでくるので、ワシも「I trust you!」と手を握り返すこともあった(笑)。それ以来、衣装部のオジサン(オバサン?)は、ワシに打ち合わせの電話をかけてくるたび、「タメイケ、パロパロ(浮気)してないか?」と挨拶代わりに言うようになってしまったのだ……。
キャスティングディレクターは、ニック・ニコルソンというオジサンで、マニラ在住のアメリカ人なのだが、彼には役者時代の自慢話がひとつある。それは、アメリカの俳優年鑑がアルファベット順であるため、あの、『イージー・ライダー』や『カッコーの巣の上で』で有名なハリウッドスター、ジャック・ニコルソンの次に名前が出ていたというだけのことなのだが……。体の大きなニックの見た目はプロレスラーのスタン・ハンセンそっくりで、よくワシはニックに頼んで、「ホーーー!(と腕を高く上げながら叫ぶ)」とスタン・ハンセンのものまねをやってもらった。
フィリピンには、アメリカ人やオーストラリア人の、あまり売れていない役者や役者の卵が数多く住んでおり、海外資本の映画がフィリピンでロケを行う場合の現地調達の端役の座を狙っている。ワシらの映画のオーディションにも、そんな役者たちが大勢集まった。中には、見た目だけは、ブルース・ウィリス風なのやハリソン・フォード風なのもいたり、オーディション慣れして「俺は『地獄の黙示録』のワンカットに映っている」と当時の写真を持って自慢するような輩がいるかと思えば、芝居経験など全くない近所に住む普通のオバちゃんもいる。一番困ったのは、何を勘違いしたか、現地のホームレスのようなオジさんが、食べ物を貰えると思ってオーディションの列に並んでいたことだ。オジさんが食べ物を与えられるまで絶対に帰ろうとしないので、たまたまワシらの昼飯として出前しておいたピザの残りを与え帰ってもらうことにした……。
オーディションでは、キャスティングディレクターのニックが1人1人に台本の中のシーンを指定し、演技をさせカメラテストをし、端役候補を選んでいく。ワシは、ニックの助手をしていたのだが、あるとき、凄い美人姉妹がオーディションを受けに来たのだ。
彼女たちのご両親は、ドイツ人とスペイン人らしく、姉のほうは髪がブロンドで色白のゲルマン系美人で、妹のほうは髪がブラウンで濃い顔のラテン系美人だった。ニックから「彼女たちのオーディションまで少し時間があるから、タメイケは待ってる間に映画の説明と話し相手をしてあげなさい」と言われた。美人姉妹を前にときめいてしまったワシは、緊張しながらも必死に笑わせようとしたり、映画の説明をしていた。彼女たちのオーディションの順番が来て、ニックが部屋に入ってきた。ワシらの雰囲気を見たニックに、「タメイケは、普段英語が話せないのに、きれいな女の子たちの前だと、急に英語が上手くなるな」と、大笑いしながら言われた……。自分では全く気づかなかったが、確かにいつもはほとんど喋れない英語で、彼女たちとは自然に話をしていたのだ。美人を前にすると普段出せない力が出るのだろうか、っていうか、単にワシのスケベ心がそうさせたのかも知れんが……。
そんなこんなで、ニックにからかわれながらも、美人姉妹のオーディションを行っている最中のことじゃ。突然、ドカン! ドカン! と、外から爆発音のような音が聞こえてきたのだ! なんだ!? 爆弾? テロ? 驚いたワシは急いで窓の外を見ようとした……が、なぜか現地スタッフたちは何事もなかったかのように作業を続けているではないか。慌てているのはワシだけ……?
その日のオーディションが終わって、現地スタッフの1人が、先ほどの爆発音に関する情報を持ってきてくれた。なんと、発砲事件があったそうだ! 近所のコンビニエンスストアで、人が撃たれたらしい! ……おお! 大変だ! ワシは、ニック・ニコルソンに慌てて言った。「ニック! さっきの爆発音は拳銃の音だったそうだよ!」と。すると、ニックは、眉間に皺をよせて真剣な表情でワシの肩に手を置き、こう言ったのだ……。「タメイケ、お前、さっきの美人姉妹のどっちが好みだ?」。……ワシは、内心「近くで人が撃たれて死んだのに、こいつら何とも思わんのか!」と思いながらも、こう答えていた……。「ラテン系の妹のほう」と。
これって、軟禁状態?
こんなふうに大忙しの準備期間が2週間ほど過ぎたある日のこと。
その日は、スタッフ全員揃っての打ち合わせのため、午前中に皆が集合するはずだった。が、揃っているのは、ワシら日本人と、アメリカ人の監督とニックだけ。いつまで経ってもフィリピン人スタッフが1人も来ない。誰にどう電話を入れても繋がらず、彼らの誰からも連絡が来ないではないか。「いったいどうなっとるんだ?」とワシらが不思議に思っているところへプロデューサー(日本人)がやって来た。
「なに! 制作費の打ち切り?」
寝耳に水なワシら現場のスタッフには、よく理解できん状況だったのだが、どうやら、日本のクライアント側とフィリピンのスタッフやロケーション一切を司っているコーディネーター側との話し合いがこじれてしまい、製作を中断せざるを得ないという状況になってしまったらしいのだよ。
ワシら「で? どうすんの? 残念だけど、日本にすぐ帰ることになるの?」
プロデューサー「いや、まだ帰らない。っていうか、帰れない」
ワシら「どして?」
プロデューサー「日本人のパスポートは、ビザ申請のときに全部コーディネーターに預けたんだけど、彼が言うには、今回のギャラやお金の件がハッキリしない限り、パスポートは返さないって」
ワシら「ふ~ん……。え! それってひょっとして、俺ら人質!?」
てなわけで、ワシら助監督3人とプロデューサー1人と制作助手1人の計5人の日本人たちは、パスポートを返してもらえず、ほぼ軟禁状態(?)みたいな状態のまま、金もなく、仕事もなく、いつ日本に帰れるのかもわからず、依然マニラにいることになりましたとさ。……ちなみに、アメリカ人の監督は、さっさとアメリカに笑顔で帰りました……。メデタシ、メデタシ……トホホホ。
続きは次回じゃー!
