プロフィール
溜池ゴロー
1964年3月28日生まれ。明治大学法学部卒業後、フリーの助監督となり、38歳で制作会社「溜池オフィス」を設立。設立から4年、KMプロデュース、ムーディーズなどのメーカーで精力的に創作活動を続ける。
川奈まり子
2009年12月
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2007年3月 1日 (木)
フィリピンでの誓い

軟禁状態 イン マニラな~のだ

 前回お話ししたように、フィリピンでの映画は製作中止ということになってしまい、ワシら日本人スタッフはフィリピン側のコーディネーターにパスポートを返してもらえず、日本に帰国しようにも出来ない状態になってしまった。おまけに、月々支払われるはずのギャラもストップしてしまった。
 結果だけ先に言ってしまうと、この軟禁状態は、約2週間続いたのだが、一番困ったのは、やはり、金がほとんどなかったことだ。ワシら日本人スタッフ(助監督と制作助手)の全員が、20代で若いがゆえに、貯金など蓄えておらず、ましてやクレジットカードなどといった洒落たものなど誰も持ってはいなかった。みんな、現地で渡される約束だった月々のギャラだけが頼みの綱だったのだが、それさえもストップされてしまった。
 ワシらの軟禁生活は、貧乏だった。

死んだ魚の目の大人と物乞いの子供たち

 

金もない、仕事もない、パスポートもない。あるのは、うだるような暑さの中で、ダラダラと流れていく時間のみ。何もすることがないワシらは、何の計画性もない毎日を過ごしていた。
 やることがないので、とりあえず外出し、思いつくままにあちこち歩き続ける。公園やデパート、海岸、教会……。ワシらの滞在していたエルミタという地区は、どこに行っても、昼間から働きもせず、ダラダラと時間をつぶす男たちが大勢いる。男たちは、ワシらが日本人だと見ると必ず、「シャッチョーサーン! オンナノコ、ショウカイスルヨ」と言いながら近づいてくるが、ワシらが金を持っていないとわかると、途端に興味を失くし去っていく。奴らは、死んだ魚のようなドンヨリとした目をして、再びベンチに寝転がる。ワシは心の中で思う。「人間、なんの目的や計画性もなく生活していると、ああなってしまうんだなあ。今の俺たちも奴らと同じようなもんかも知れん」と。
 ワシがボンヤリ考え込んでいると、傍らから声がかかった。物乞いの子供たちだ。彼らは、ボロボロの服を着て、「オカアサン、ビョウキ。トウサン、シンダ。シャッチョーサン、オカネチョウダイ」と身振り手振り全身で迫真の泣き演技を見せる。先ほどの無気力そうな男とは違い、子供たちは物乞いをするにもエネルギッシュだ。ひとりがワシに物乞いをしていると、他の子供たちもどんどん集まってくる。こいつら、俺がちと優しい顔してるからって金出してくれると思ってるな。ひょっとして俺、ガキどもにナメられてる? ワシが無視して子供たちから去っていくと、ワシの背中に向かって、誰に教えてもらったのか、「ケチ!」と日本語で全員が叫ぶのだ。
 海岸に出ても子供たちは元気だった。近くの海は、あまりにも汚く、決して泳いだり水浴びしたりしようとは思えないのだが、現地の子供たちはキャッキャッとはしゃぎながら満面の笑顔で水遊びをしている。あんな水の中にいて、病気になってしまうのではと心配してしまうが、きっと彼らは免疫があるのだと思われる。氷入りのビール飲んだだけでウエルカムシャワーになってしまったデリケートなワシとは大違いじゃ。

こ、これが日本のオヤジか? 情けないぞい!

 ワシらのアパーテルの入り口には、銃を肩からさげた制服姿のガードマンがいつも常駐している。働かない男たちからの「オンナノコショウカイスルヨ」攻撃と、物乞いの子供たちからの「オカネチョーダイ」攻撃と、あまりにも高い気温にウンザリしながら、ワシらがアパーテルにもどってくると、ガードマンの彼は、ニコニコしながらワシらに「オンナノコショウカイスルヨ」と声をかけてくる。「お前もか!」と思わずツッコミを入れ、「この国はいったいどうなっとるんだ!」と思いながら部屋に入ると、知らないフィリピン人の女性がソファーに座っていた。
 「君、だれ?」と質問するワシらに彼女は、「ココ、ニホンジンイル、キイタ。ワタシ、マッサージスル、キモチイイヨ、シャッチョーサン」と当たり前のように語る。「マッサージなんかいらないから、出て行って。それに俺らシャッチョーサンじゃないんだけど」とワシが答えると「ワタシ、モットイイコトデキル、キモチイイヨ。ニホンジン、キモチイイコトスキネ、シャッチョーサン」と、その不健康そうな顔色のフィリピン人女性は、部屋からなかなか出て行こうとしない。仕方ないので、ワシは「俺たち、実はみんなホモで女に興味ないから、出て行ってくれ」と追い出した。彼女は扉の外から、「アナタタチ、カワイソウネ」と捨て台詞(ぜりふ)を吐き去っていく……。「こいつら! いったい日本人をなんだと思っとるんだ!」と頭に来るワシではあったが、仕方ないのかも知れん。
 なぜなら、実際、昼からやることもなく人間観察をしていると、マニラの街中には、遊び金をフンダンに持っていそうで、「シャッチョーサン」と呼ばれると喜び、頭の中は常にエロエロ状態でいつも女性を買うことばかり考えているように見える日本人のオジサンたちが、あまりにも多いのだ。マニラに住む彼ら彼女らにっては、日本人の印象は、どうしてもああなってしまうのかも知れん。だから、日本人を見れば、若く(当時)貧乏そうなワシらにさえも「シャッチョーサン」と声をかけてくるのだろう。
 あのとき、エルミタの焼けるようなアスファルトにしゃがみ込み、ワシは、そんな日本人のオジサンたちを観察しながら、「あのオジサンたちも日本に帰れば、きっと『シャッチョーサン』ではなく、真面目な会社の課長や部長だったりするんだろうし、フィリピンでは若い女の子を連れ歩き『パパ』気取りだが、日本に帰れば自分の娘さんと買い物に出たりする『お父さん』なのだろう……」とボンヤリ考えていた。
 そして今、いちおう、小さな会社の社長になり、父親にもなったワシは、こう思っておる。「シャッチョーサン」と呼ばれ喜んだり、「パパ」気取りでデレデレするオジサンではなく、しっかりした「社長」で、しっかりした「父親」である、立派なニッポンのオヤジになってみせるぞい、と。

誕生日とパスポート

 軟禁状態の間、照りつける陽に肌は真っ黒に焼け、髪の毛も髭も伸び放題、その辺をプラプラしていると、昼間から働く気のないフィリピン人の男たちと見た目の違いがわからないくらい、現地人とどんどん同化していく。やがては歩いていて道を聞かれるようになってしまったくらいである。
 その日その日をそんなふうに流されるまま生きながら、2週間近くが経とうとする頃、ワシの29歳の誕生日がやって来た。こんな場所でこんな状態のまま、ワシは20代最後の誕生日を迎えようとしていた。だが、そんなときにありがたいことを言ってくれる人もいたのだ。
 ワシらの滞在していたアパーテルの1階に現地の旅行代理店があったのだが、そこの社長である女性が、なんとワシの誕生日パーティーを会社でしてくれるというのだ! 前日、彼女はワシに「タメイケ、アシタノゴゴ、カイシャクルネ。ミンナデ、ジュンビシテマッテルカラ」と笑顔で、会社の社員たちと盛り上がって言ってくれたのだ!
 翌日、大喜びのワシは、洗濯したてのシャツを着込み、日本人スタッフ皆を誘って、その旅行代理店まで足を運んだ。皆は、「どんな料理が出るんだろう」と、腹をすかしながらも、その足取りは軽い。
 そして、招かれたその場所に到着したのだ!
 ……アレ? 一瞬、場所を間違えたかと思った。想像では、今頃、ケーキや料理が並べられ、少しの飾りつけなどがされている会社の中で、クラッカーとかパンパンと打ち鳴らされ……のはずだったのだが、なんと! シャッターが閉まっておるではないか! ……最初は、驚かそうとしているのかと思った。が、会社のシャッターは、1分の隙間もなくビッタリと閉められ、鍵も何重にもしっかりかけられ、人っ子ひとりとしている気配はなし!
 ……やられた。やはり、やられた。でもしょうがない。いいんだ、これもフィリピンの習慣なんだ、きっと。でも、ひと言だけ言わせてくれ……。フィリピン人の嘘つきーーー! (ワシの声がコダマする)……が! しかーし! がっかりして部屋に帰ったワシに思いもかけない誕生日プレゼントがやってくることになったのだ。

フィリピン最終章

 ピンポーン!
 がっかりして帰ったワシらの部屋にチャイムがなる。ドアを開けると、なんとフィリピンの映画スタッフ10人ばかりが、手に料理やプレゼントを持って、ワシの誕生日を祝いにやってきたのだ!
Strong_decision  テーブルに並ぶ、七面鳥や貝や魚、そして特大のチョコレートケーキなど。各料理は、スタッフたちの奥さんが朝から作ってくれたらしい。ご馳走を前に、ワシは空腹にもかかわらず、胸がいっぱいになってしまった。そして、再び、ピンポーンのチャイムが鳴る。
 やってきたのは、フィリピン側のコーディネーターと、日本側のプロデューサーだ。彼らは笑顔で部屋に入ってきたと思うと「ご苦労様でした。いつかまた必ず、一緒に仕事をしましょう」とワシら日本人スタッフに声をかけながら、パスポートを返してくれたのだよ! やっと、日本に帰れるぞい! ワシらは、料理をガツガツ食べ、ビールをジャンジャン飲んだ。映画はポシャってしまったが、みんな笑顔で再会を約束しあっていた。
 4日後、ワシらは、日本への帰路についた。
 飛行機の中で、ワシは、この1ヵ月を思い出していた。エゲツないがパワフルな街・マニラ、そこで出会った多くの人間、2週間の軟禁期間……。フィリピンでの記憶は、決して美しいものとは言えないかも知れん。しかし、現在のワシにとっての教訓が多く含まれた経験だった。そう、ワシはフィリピンでのことを思い出すたびに、いつも頭の中でこう叫ぶのだ! ……「ワシは、立派なニッポンのオヤジになってみせるぞい!」と。
 これで、ワシの20代編を終了しようと思う。で、次回からは、再び現代のワシ、つまりオヤジのワシのことに話題を戻して、「オヤジ革命」を語るぞい! 「オヤジ革命」の本番は、これからじゃー!!

2007年2月23日 (金)
嘘とオカマと制作費の打ち切り

いきなり汚い話でスマン

 激しい嘔吐と下痢の繰り返しは、丸3日間続いた。その間ずっと、ワシはベッドとユニットバスのシャワールームとの往復だった。
 敢えて汚い話をするが、「ゲロ」と「ゲリ」、一字違いで大違いなはずなのに、この3日間の「ゲロ」と「ゲリ」の繰り返しのせいで、ワシの脳味噌は、両者の境目が全くわからなくなるような状態に陥ってしまった。いま、「便器に座って出す」のか、「便器に頭を突っ込んで吐く」のか、間違えると大変なので、途中からは頭の中で「ゲリ」と「ゲロ」の確認をしながらトイレに駆け込むようになったのだよ。
 実際、トイレに座ったのに、嘔吐してしまったことがあった。体を吐しゃ物で汚しても拭く気にもならずに、「今の俺にとっては、ゲロでもゲリでもどっちでも一緒ジャンか」と、朦朧とした頭でボンヤリと考えていた溜池青年でござる……。
 そして、ようやっとウェルカムシャワーも治り、仕事に参加することになったワシは、この3日間の遅れを取り戻そうと、必死に打ち合わせやロケハン(ロケーションハンティング:撮影場所探しと下見みたいなこと)に動いた。ワシら日本人と、アメリカ人、フィリピン人の混成スタッフの間も、結構うまくやれていた。ただ、フィリピン人の遅刻癖以外は……。
 例えば、ロケハンに行くため、フィリピン人スタッフの車両部の運転するロケバスを待っていると、集合時間より2時間も遅れたり、打ち合わせの時間にフィリピン人スタッフだけが皆いっせいに30分遅れてきたり。ワシら日本人スタッフとアメリカ人の監督は、最初のうちこそ怒っていたが、彼らが全く懲りないので、彼らの遅刻癖を「フィリピーナタイム」と呼び、フィリピンの習慣としてとらえることにした。
 が、遅れてきた彼らの言い訳は、みんな毎度「子供が熱を出した」とか「お母さんが病気になった」とか、「おじさんが死んだ」とか……。これって、前回お話ししたフィリピン人のホステスさんの不幸話と同じではないか!
 ワシは思った。「嘘つきも、フィリピンの習慣なのだな。フィリピン人の嘘つきー!」と。……あ、もちろん、フィリピンの人みんなのことを言っているのではなく、たまたまワシの出会ったフィリピン人の一部のことだし、他のどの国の人間にも嘘つきはいっぱいいることくらいはわかってるので、悪しからず。

最初の2週間

 マニラでの最初の2週間は瞬く間に過ぎ去った。
 セカンド助監督だったワシは、現地の衣装部との打ち合わせと、端役のキャスティングの進行に多くの時間をとられた。ただでさえも、決して勤勉ではない、というかサボり癖のあるフィリピン人スタッフたちに、仕事や作業の進行を速くさせるため、ワシら演出部は必死に彼らの尻を叩いた。
 ちなみに言うと、衣装部の現地スタッフの男は全員オカマさんだった。打ち合わせ中、全員がやたらとシナを作って話し合うので、ヤキモキしながらも、ワシまでシナを作って話すような感じになってしまった。彼らに衣装の出来上がりの期日を守ってもらえるのか信用できず、時たまワシがイライラしたりすると、中のリーダーみたいなオジサン(オバサン?)が、ワシの手を握り、「Take it easy」と微笑んでくるので、ワシも「I trust you!」と手を握り返すこともあった(笑)。それ以来、衣装部のオジサン(オバサン?)は、ワシに打ち合わせの電話をかけてくるたび、「タメイケ、パロパロ(浮気)してないか?」と挨拶代わりに言うようになってしまったのだ……。
 キャスティングディレクターは、ニック・ニコルソンというオジサンで、マニラ在住のアメリカ人なのだが、彼には役者時代の自慢話がひとつある。それは、アメリカの俳優年鑑がアルファベット順であるため、あの、『イージー・ライダー』や『カッコーの巣の上で』で有名なハリウッドスター、ジャック・ニコルソンの次に名前が出ていたというだけのことなのだが……。体の大きなニックの見た目はプロレスラーのスタン・ハンセンそっくりで、よくワシはニックに頼んで、ホーーー!(と腕を高く上げながら叫ぶ)」とスタン・ハンセンのものまねをやってもらった。
 フィリピンには、アメリカ人やオーストラリア人の、あまり売れていない役者や役者の卵が数多く住んでおり、海外資本の映画がフィリピンでロケを行う場合の現地調達の端役の座を狙っている。ワシらの映画のオーディションにも、そんな役者たちが大勢集まった。中には、見た目だけは、ブルース・ウィリス風なのやハリソン・フォード風なのもいたり、オーディション慣れして「俺は『地獄の黙示録』のワンカットに映っている」と当時の写真を持って自慢するような輩がいるかと思えば、芝居経験など全くない近所に住む普通のオバちゃんもいる。一番困ったのは、何を勘違いしたか、現地のホームレスのようなオジさんが、食べ物を貰えると思ってオーディションの列に並んでいたことだ。オジさんが食べ物を与えられるまで絶対に帰ろうとしないので、たまたまワシらの昼飯として出前しておいたピザの残りを与え帰ってもらうことにした……。
 オーディションでは、キャスティングディレクターのニックが1人1人に台本の中のシーンを指定し、演技をさせカメラテストをし、端役候補を選んでいく。ワシは、ニックの助手をしていたのだが、あるとき、凄い美人姉妹がオーディションを受けに来たのだ。
 彼女たちのご両親は、ドイツ人とスペイン人らしく、姉のほうは髪がブロンドで色白のゲルマン系美人で、妹のほうは髪がブラウンで濃い顔のラテン系美人だった。ニックから「彼女たちのオーディションまで少し時間があるから、タメイケは待ってる間に映画の説明と話し相手をしてあげなさい」と言われた。美人姉妹を前にときめいてしまったワシは、緊張しながらも必死に笑わせようとしたり、映画の説明をしていた。彼女たちのオーディションの順番が来て、ニックが部屋に入ってきた。ワシらの雰囲気を見たニックに、「タメイケは、普段英語が話せないのに、きれいな女の子たちの前だと、急に英語が上手くなるな」と、大笑いしながら言われた……。自分では全く気づかなかったが、確かにいつもはほとんど喋れない英語で、彼女たちとは自然に話をしていたのだ。美人を前にすると普段出せない力が出るのだろうか、っていうか、単にワシのスケベ心がそうさせたのかも知れんが……。
 そんなこんなで、ニックにからかわれながらも、美人姉妹のオーディションを行っている最中のことじゃ。突然、ドカン! ドカン! と、外から爆発音のような音が聞こえてきたのだ! なんだ!? 爆弾? テロ? 驚いたワシは急いで窓の外を見ようとした……が、なぜか現地スタッフたちは何事もなかったかのように作業を続けているではないか。慌てているのはワシだけ……?
 その日のオーディションが終わって、現地スタッフの1人が、先ほどの爆発音に関する情報を持ってきてくれた。なんと、発砲事件があったそうだ! 近所のコンビニエンスストアで、人が撃たれたらしい! ……おお! 大変だ! ワシは、ニック・ニコルソンに慌てて言った。「ニック! さっきの爆発音は拳銃の音だったそうだよ!」と。すると、ニックは、眉間に皺をよせて真剣な表情でワシの肩に手を置き、こう言ったのだ……。「タメイケ、お前、さっきの美人姉妹のどっちが好みだ?」。……ワシは、内心「近くで人が撃たれて死んだのに、こいつら何とも思わんのか!」と思いながらも、こう答えていた……。「ラテン系の妹のほう」と。


これって、軟禁状態?

Return_the_passportplease  こんなふうに大忙しの準備期間が2週間ほど過ぎたある日のこと。
 その日は、スタッフ全員揃っての打ち合わせのため、午前中に皆が集合するはずだった。が、揃っているのは、ワシら日本人と、アメリカ人の監督とニックだけ。いつまで経ってもフィリピン人スタッフが1人も来ない。誰にどう電話を入れても繋がらず、彼らの誰からも連絡が来ないではないか。「いったいどうなっとるんだ?」とワシらが不思議に思っているところへプロデューサー(日本人)がやって来た。
 「なに! 制作費の打ち切り?」
 寝耳に水なワシら現場のスタッフには、よく理解できん状況だったのだが、どうやら、日本のクライアント側とフィリピンのスタッフやロケーション一切を司っているコーディネーター側との話し合いがこじれてしまい、製作を中断せざるを得ないという状況になってしまったらしいのだよ。

 ワシら「で? どうすんの? 残念だけど、日本にすぐ帰ることになるの?」
 プロデューサー「いや、まだ帰らない。っていうか、帰れない」
 ワシら「どして?」
 プロデューサー「日本人のパスポートは、ビザ申請のときに全部コーディネーターに預けたんだけど、彼が言うには、今回のギャラやお金の件がハッキリしない限り、パスポートは返さないって」
 ワシら「ふ~ん……。え! それってひょっとして、俺ら人質!?

 てなわけで、ワシら助監督3人とプロデューサー1人と制作助手1人の計5人の日本人たちは、パスポートを返してもらえず、ほぼ軟禁状態(?)みたいな状態のまま、金もなく、仕事もなく、いつ日本に帰れるのかもわからず、依然マニラにいることになりましたとさ。……ちなみに、アメリカ人の監督は、さっさとアメリカに笑顔で帰りました……。メデタシ、メデタシ……トホホホ
 続きは次回じゃー!

2007年2月14日 (水)
ごっちゃりと賑わう、ここはフィリピン!

溜池ゴローのワールドマップ・イン・フィリピン!

 皆さんこんにちは。溜池ゴローでござる!
 前回までのワシのコスタリカでのこと、いかがでござったでしょうか? コスタリカでは、びっくりするようなことが多かったのだが、どの出来事も非常に楽しい記憶として、今でもワシの頭の中に残っておるのだよ。
 でだ! 今回は、ワシの20代での海外経験第2弾として、フィリピン・マニラでの1ヵ月滞在のことをお話しようと思う。題して、『溜池ゴローのワールドマップ! イン! フィリピーン! ワシはフィリピンが嫌いじゃー!の巻! ……ん? なんで嫌いかって? ……く、く~~、よくぞ聞いてくれた(思わずすすり泣きだす溜池)! ……え? 誰も聞いてないって? まあいい。これから話すのは、ワシが29歳になる春のことじゃ……。

 助監督だったワシは、映画撮影の準備のためフィリピンはマニラのエルミタ地区という場所に出向いた。
 その映画は、監督がアメリカ人、プロデューサーと助監督はワシら日本人、各部の助手たちがフィリピン人という具合のスタッフ編成だったので、打ち合わせは、いつも日本語と英語とタガログ語が飛び交っている無国籍チャンコ鍋(そんなモノあるかどうか知らんが)のような状態だった。
 そして、当初は、現地での準備期間1ヵ月の後、クランクインの予定だったのだが……。

エゲツない! けどパワフル!

The_marvelous_philippines  空港に到着し、ゲートを出た瞬間から、マニラはぶっ飛んでいた。
 ゲートを出たワシは、迎えのスタッフを探す間もなく、見知らぬ2人組のフィリピン人にいきなり荷物を引っ張られていた。男たちは、ワシのスーツケースとバッグを無理やりタクシーまで運び、チップを貰おうとしているらしい。サービスというより、ほとんど引ったくりである。男たちと荷物の引っ張りあいになったワシは、「ノーサンキューだ! この野郎! ゴーアヘッドだ! シャーこの野郎!」と、なぜかアントニオ猪木のマネで怒鳴っていたのだが、警官らしき人間が近寄ってくると、その男たちは一目散に逃げていったのだった。
 ……こんなフィリピンに対するワシの最初の印象は、「エゲツない! けどパワフル!」というようなものだった。「フィリピンは侮れんぞい!」とフンドシを(はいてはいなかったが)引き締めなおすワシであった。

 到着したその日、これから仕事を共にするフィリピンの映画スタッフたちに紹介された。
 彼らは、陽気で親しみやすい雰囲気を持ち、空港で物乞いをしている目のドンヨリと濁ったフィリピン人たちとは、まるで雰囲気が違っていた。
 軽い打ち合わせの後、親睦会代わりに皆で飲みに行くこととなった。ワシらは、何台かのタクシーに乗り込み、夜の街へと案内されたのだ。

 タクシーを降りると、そこには凄く迫力のある風景が広がっていた。
 ……なんと言えばよいのだろう。凄い数の人間たちが車道も歩道も関係なしに、ごった返している状態である。喧騒に覆われた街には、解体工事を中断したかのような壊れた建造物が立ち並び、それらの軒下に食べ物や果物や雑貨などがごっちゃりと並べられたり吊るされたりしている店や屋台が連なっている。道路上では、大声を張り上げたり笑ったりしている人間たちでいっぱいなのに、その中を車がゆっくりと通過していく。道路に設置されている街灯は消えて用を成しておらず、店や屋台の軒などに吊るされた物凄い数の裸電球が鋭い光を放っている。その光と焼き物の煙が交わってできる幾筋もの立体的な光線が、行きかう人々のシルエットと相まって、街全体にコントラストの強い印象を作り出している。ワシは、目の前の風景を見ながら、何十回も観た映画『ブレードランナー』の冒頭のシーンを思い出していた。
 やがてワシらは、街の一角にある地下への入り口に連れて行かれた。

あんだ~ぐらうんど

 「な、なんじゃここは!」
 ステージ上では、素っ裸のフィリピン女性がファイヤーダンスを踊っているではないか!
 ワシらが案内された地下には、だだっ広い空間のバーがあり、これまた凄い数の人間たちで大賑わいだ。バーといっても、上品なものではまったくなく、薄暗く雑多で不潔そうでタバコの煙がもうもう状態である。
 客のほとんどは、日本人や中国人などの観光客らしき男たちと、現地の金持ち風のオジサンたちで、彼らの横には店のホステスさんであるフィリピン女性たちがベッタリとくっついて座っている。どのオッサンも鼻の下を伸ばして幸せそうな笑みを浮かべながらスケベな冗談をかましているのだが、薄暗い中でよく目をこらして見てみると、オッサンの隣に座るホステスさんは、化粧で誤魔化してはいるが皆かなり若い、というか幼いのだ。
 当時からロリコン男が嫌いだったワシは、「ん~~マニラは、日本のロリコンオヤジたちの天国かも知れんぞい」と、“ニッポンのお父さんたちの暗部”を見てしまったような気分になったのだよ。それと、フィリピンに到着した日の疲れも相まってか、ちと体調不良を感じ出したのだが、そんなこと口に出す間もなく、ウエイターはワシのコップの中に手づかみで氷をガンガン入れてビールをドバドバ注ぐし、やってきたやり手ババアのような女性は、無理やりホステスさんを大勢連れてくるし、隣に座ったホステスさんは「お父さん死んじゃってお母さん病気で弟と妹の面倒見なきゃいけないし」と、タガログなまりの英語とカタコトの日本語で涙ながらに不幸話を連発するし……。
 ワシ、実は昔からホステスさんのいる店とか苦手で、今でもそういった店には自分から行くことはまったくないのだよ。ちなみに、「キャバクラ」なるものも、知り合いに2度ほど連れて行かれたことはあるのだが、何が楽しいのか全然わからん。っていうか、キャバクラ好きな男性たちには申し訳ないが、正直言って、時間の無駄にしか思えん。これはあくまでもワシの独断と偏見なので、腹を立てた方は許しておくれ。スマン……。
 不幸話を聞かされたワシは、現地スタッフから「彼女かわいそうだからチップはずんであげて」と言われ、仕方なく財布の中から2千円出した。渡したとたんに彼女は、「ありがとう!」とニッコリ笑って「私これからもがんばるから、あ、向こうのテーブルに行かなきゃ。私、あなた好きよと投げキッスをして、「さっきまでの涙はなんだったんだろう?」というワシの疑問のみを残して人ごみの中へと走り去っていった。
 ……強い! 彼女たちは生活のためなら恥やプライドなどという難しいものはいらないのだ! 観光客のロリコンオヤジたちは、完全に彼女たちの手のひらに乗せられている!
 ちなみに、日本に帰る数日前にも、似たような店に連れて行かれたのだが、そのときもワシの隣に座ったホステスさんは「お父さん死んじゃってお母さん病気で弟と妹の面倒見なきゃいけないし」と似たような不幸話を涙ながらにしだしましたとさ。……やはり、マニラはエゲツない! けどパワフルじゃー!
 そして、マニラのエゲツなさとパワフルさに初日から疲れてしまったワシは、翌日、飯を食い終えてアパーテルに戻る途中、突然の腹痛とめまいを感じ、道端にバッタリと倒れてしまったのだ! 数人の助監督仲間に部屋まで抱え運ばれると同時に、ワシはユニットバスの浴室に這いずりながらも駆け込んだ!
 ……が、すでに時は遅かった。
 俗に言う「ウエルカムシャワー」がワシを怒濤のごとく襲ったのだよ。もう、上から下からゲーゲージャージャー。いくら吐いても出しても止まらなかった。
 人生で経験したことのない激しい吐き気と腹痛と目眩(めまい)で朦朧(もうろう)としているワシは、シャワーから降り注ぐ水の中で、服を脱げもせずに、吐しゃ物と汚物にまみれて見るも無惨な姿をさらしていた。それを見た通訳のフィリピン人の声が遠くから聞こえてきた。
 ……「コレラかもしれないよ」
 ……何度も嘔吐しながら、ワシは心の中で叫んでいた。「死にたくねーよー! こんなとこで死んでたまるか! シャーこの野郎(アントニオ猪木ふうに)!」と……。
 続くぞ! シャーこの野郎(アントニオ猪木ふうに)!
 ……もうええちゅうねん!

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