プロフィール
水野晴郎
映画批評家、監督、脚本家、作家、作詞家、演技者、大学教授。1931年生まれ。39歳の時日本テレビの映画番組の解説者を務めて以来、映画批評家として立つ。1996年、初めて監督・脚本を務めた映画「シベリア超特急」は若者を中心に熱狂的な人気を博す。

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2006年7月14日 (金)
正に大女優! 淡島千景

 『シベリア超特急2』でご一緒した淡島千景さんはすばらしい女優である。
 もちろん彼女をキャスティングしたのは私である。
 なにゆえか?

 私が少年時代にみた『てんやわんや』という松竹映画。監督は風俗喜劇を撮らせたら当時No.1と云われた渋谷実。この映画がこの監督を不調時代から抜け出させ、渋谷監督は巨匠として『本日休診』、『自由学校』『やっさもっさ』などを発表していく。

 この『てんやわんや』で映画デビューしたのが淡島千景だった。宝塚の舞台で戦後第1回の宝塚ブームを巻き起こしたスターである。久慈あさみや乙羽信子と絢爛たる一時を重ねた。

Doctor_saeki_ 淡島千景は松竹へスカウトされ、久慈あさみは新東宝へ、乙羽信子は大映へと別々の道を歩んだ。淡島は渋谷に、久慈は市川崑と、乙羽は新藤兼人とめぐり逢うことになる。
 淡島千景は『てんやわんや』でパチンコ台を前にテンポの早い踊りと唄をご披露し、私達のどぎもを抜いた。

 当時松竹大船では高峰三枝子、木暮実千代、高杉早苗、別格として高峰秀子、更に水戸光子、田中絹代が君臨していた。しかし、やがて淡島の後を追って有馬稲子、岡田茉莉子、高千穂ひづる達が入社し、松竹の女優地図があきらかに大きく変わっていったのである。
 その中でも淡島千景はヌきんでて抜きん出ていた。以来、映画界の中枢で活躍し、さらに舞台経験を存分につんで演技を磨きこんできた。

 『シベリア超特急2』でのファーストシーンの長廻しで、私は憧れの淡島さんとセリフを交わしながら登場するシーンがあった。私の胸は何年振りかに再会したような思いで興奮した。そのせいからか私がちょっとセリフミスをしてしまったのだが、彼女は私のミスをサラッとカバーし、セリフを合わせてくれた。 現場に台本は一度も持ってこない。全編対する人のセリフまで頭に入っている。
 正に大女優である。

2006年7月 6日 (木)
かたせ梨乃ちゃんの涙はすごい

 最近、あまり映画の仕事をしていないかたせ梨乃さんだが、TVで見ると、女優としてますます充実してきたのが良くわかる。

Hard_days_night 日本映画界がダメなところは、若年層ばかり気にして若い人向きのホラーやベッドシーン、人殺しの映画に夢中になることだ。こんな映画見て何のプラスになるのか。血をどぼどぼ出せばいいってものじゃない。そうした風潮の中でろくに演技もできない子供ばかりを主役にまつりあげてよしとする。
 だから女優として充実し、これから大きな仕事のできるであろう人たちが、映画に出るチャンスが少なくなり、TVや舞台の方へ行ってしまう。
 かたせ梨乃さんが最近映画に出なくなったのもきっとそんな理由からだろう。

 『シベリア超特急1』で私が感心したのは彼女の演技に対する打ち込み方。
 一等書記官とのハンガリーでの別れのシーンで私は、抱き合う二人を360度キャメラを回転させて撮りたいというプランを練った。一種の長廻しである。これがお見事。キャメラテスト中心に1回の位置決めリハーサルをやり、後本番。何とその本番が1回でOKになったのだ。コシノジュンコの衣装を身にまとった彼女。キャメラが回りこんで彼女の表情が2度目に映ったとき涙がツーっと頬に流れた。
 これはお見事。
 並みの女優でこの涙、出せるわけはない。

 『2』でデビューを飾ったメイファンこと須藤温子もすごく勘のいい女優だったが、長門裕之に身をささげる直前、鏡にむかって涙を流すシーンなのだが、何度撮っても涙が出ない。結果うまくいったのだが、私も目薬で行こうと決心した程だった。
 温子ちゃんにとっては、この経験が素晴らしい女優になるためのステップになってくれたことと思うが、そう考えると、梨乃さんの涙はすごい。

 また、梨乃さんは英語ペラペラ。しかもきれいなアメリカ英語の発音である。
 映画のクライマックスのスカートが広がって倒れるシーンも1回OK。あらためて女優根性に脱帽した。