プロフィール
みうらじゅん
1958年京都府生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、漫画家、イラストレーター、作家、ミュージシャン、ラジオパーソナリティーなどで幅広く活躍中。近著に写真集『アイノカテゴリー』(ぴあ)、『青春の正体』(ベストセラーズ)などがある。

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2006年3月30日 (木)
第10回 AMA(エー・エム・エー)

 熊田曜子や、ほしのあきといったグラビア・アイドルのルーツは、AMA(エー・エム・エー)にあると睨んでいる。

 AMA(エー・エム・エー)とは、すなわち「海女(あま)」の新名称である。
「夏は千葉でAMA」なんてキャッチコピーも、ポップに映えるあろう。

Miuraama  “千葉海女祭り”は、千葉県南東部、房総半島太平洋岸の町、御宿で毎年、夏に開催される。本番は夜、辺りが暗くなりだすと総勢50人近くのAMAが列を作り、白装束で、手には松明を持ち、夜の海を遊泳するのである。

 オレはまるでアキバのグラビア・アイドル握手会のようにAMAが集まる広場で出待ちをしていた。
 先頭に並んだAMA、歳の頃なら40代。ま、世間的には熟女ってヤツであーる。
 オレはカメラのシャッターを切った。
 その列の並びはフツー、年功序列だろうと思ってたオレは最後尾が80代とは予想していなかった。
 
 かつて、オレの見たAMAは絵ハガキ写真だった。
 昭和丸出しな人工着色で、AMAは岸壁に立って海を見つめていた。ハイレグ水着よりもハイレグなフンドシ姿、しかもトップレスだ。これをグラビア・アイドルと呼ばずして何を呼ぼう。
 
 それから日活ポルノの「海女」シリーズ。到底、童貞(DT)高校生にはハードルが高過ぎ、女教師モノ、団地妻でもギリギリなところにAMA。しかも、オレの脳裏には宿便のように残っていたある世界。
 
 松明の明かりが夜の海に映って、とても幻想的だ。AMAたちは円を描き、その白装束も水に濡れ、ヌレ、ヌレヌレだ。オレは岸にいて目を凝らしてる。よく見ると、松明の明かりの他に光るものがある。AMAの金歯だった。
 
 あぁ、永遠のグラビア・アイドルAMA(エー・エム・エー)。
 
 ちなみにMEGUMIちゃんのお婆さんはかつてAMAをしていた、と聞いたことがある。
 
 目指せ! 新人AMA。
 消すな土着文化!

2006年3月 9日 (木)
第9回 アフロ

 生まれて初めて見たアフロは誰だったのだろうか?

 “むぁいにちぃ むぁいにちぃ♪”の子門真人のアフロか?

 いや、それとも“メリージェーン オンマイマァーイ♪”の、つのだ☆ひろか?
 記憶は定かではないがオレの場合、外国人ではなく日本人であったことは確かだ。
 

 後に、クリーム時代のクラプトン、グランド・ファンク・レイルロードのドラム、ドン・ブリュワーやスリー・ディグリーズの一人(名前は忘れた)、映画『燃えよドラゴン』にも出てたジム・ケリー、アース・ウィンド&ファイアーのモーリス・ホワイトなど続々と本場アフロが紹介された。

 現在ではスキマスイッチのキーボードが日本では有名だが、そんなアフロのルーツは意外にもインドであったことが判明した。
 

Miura01  しかも最初にアフロを決めたのはゴータマ・シッタールタ(そう! 通称・お釈迦様)なのである。その記念すべき第一号アフロの写真を見ていただきたい。
 

 これは「五劫思惟阿弥陀(ごこうしゆいあみだ)」と、仏像界では呼ばれているもの。ものすごい長い時間、瞑想をしていたもんで、ものすごい髪が伸びたお釈迦様の姿を表したものである。
 

 もちろんこれは好き好んでのファッションではないが、ものすごいアフロには違いない。