プロフィール
みうらじゅん
1958年京都府生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、漫画家、イラストレーター、作家、ミュージシャン、ラジオパーソナリティーなどで幅広く活躍中。近著に写真集『アイノカテゴリー』(ぴあ)、『青春の正体』(ベストセラーズ)などがある。

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2007年4月10日 (火)
第18回 おっぱい

Oppai_1   “オッパイ”を、思うだけで幸せな気になる。人に聞こえないくらいの小さな声で「オッパイ……」と、呟くとさらに効果はてき面、少々の悩みなどフッ飛んでしまう。
 何せ言葉の響きがいい。“チチ”とか、“ニューボー”では今一つ、あの感じは出ない。あくまで“オッパイ”は、“オッパイ”なのである。
 オッパイの楽しいところは形がさまざまであるというところ。大きいのもあれば、小さいのもあり、ボトルでいえばキャップの部分もさまざまである。 
 赤ん坊の頃からあんなに好きなものは、なかなか飽きることはない。趣味など遥かに超越している存在なのである。
 教育というものは、男にとってオッパイ以外のことを考える修業である。気を散らすために大して役にも立たないことを覚えさせられるのである。それさえ授業を始める前に説明してもらえれば“何のために?”とか、若い頃、悩まずに済んだはずだ。
 それにしても“オッパイ”はいい。歳を取れば取るほど思うのは、どんどん教育から解放され本能に戻るからだ。
 道を歩いていても“オッパイ”に似た形状のものをつい見つけてしまう。
 コレは、寺の山門とかにくっ付いている名称が分からないもんで、オレは“オッパイ”と呼んでいるんだけど。

2007年3月26日 (月)
第17回 犬

Mjdog_1  何匹、飼おうが他人につべこべ言われる筋合いはない。

 それでも“エサ代は随分かかるんじゃないのか?”とか、“いろんな種類ならいいが、同種の場合、一匹一匹よく区別がつくもんだ”とか、いらぬ心配をしてしまうが、やはり大きなお世話なのだ。

 名前だってどうするよ?
 一匹目を『イチロー』にしておけば、『ジロー』『サブロー』『シロー』『ゴロー』『ロクロー』『ナナロー』と、覚えやすい。
 それが『ジョン』などと1匹目を呼んでしまった場合、『ポール』『ジョージ』『リンゴ』と、続けてもせいぜい4匹まで。

 そんなことより、この犬シール、どこでもらえて、1匹につき1枚しかもらえないものなのか?
 シール地も青や赤、黄とさまざまだが、その分け方が知りたい。

 本当は、こんなに飼ってないんでしょ?
 押し売りとかドロボー対策として、こんなにズラーッと貼ってんでしょ。
 何枚までが本当なのよ?
 ま、これも聞く権利なんてオレにはないんだけどね。

2007年3月20日 (火)
第16回 USA

Mjusa_1

 例えば、“アップル”のことを
「アンナッポー」
と、正しく発音でもしようもんなら、クラス中(寝ている奴以外から)、
「何、おまえ、カッコつけとんねん!」
と、罵声を浴びせられたもんだ。
 今なら確実に「欧米か!」と、ツッ込まれるところだが、’70年代初頭、特にオレの通ってたヤンキー中学では、欧米の意味を知る者は少なかったと思う。
 だから、英語教師に教科書を読めと立たされた時、細心の注意を払って“アップル”は
「あん あっぷるー」
と、発音するのが正しいとされていた。

 クラス中の誰もが将来、アメリカなどに行くこともないし、ましてやアメリカ人などと会話する機会など絶対にないと信じてた。
 洋楽は遠い国の音楽、意味など分かるはずがない。たまにクラスに入ってくる情報は、ペニスのデカさ。ヤンキーが授業中、後ろの席から回してくる写真は頭がクラクラするぐらいの無修正モノだった。
“こんな奴らには勝てるわけがない”、今更思っても後の祭り。
 あれからロックを知って、洋学志向にはなったけど、一度もアメリカなんて行きたいなんて思わなかった。
 日本人の巨大コンプレックスの固まり、それがアメリカ(USA)だったからだ。

“WELCOME TO USA”
と、看板が立っていた。
 ここは大分県・宇佐市――。
 腰砕けなオヤジ・ギャグ。未だコンプレックスは解消されていない。

2006年9月 4日 (月)
スターと遭遇

Hikomaro  ふだんテレビで見ている人を街角で見かけると、かなりドキドキする。
 大ファンならなおさら、「どうしよう!?」とソワソワする。握手、「がんばって下さい」、サイン、できればツーショット写真を撮って友達に見せたい。

 でも、スターは急いでる。
 渋谷の歩道橋を駆け足で降りてきた。
 オレはすかさずバッグからカメラを取り出し、シャッターを押した。
 どうやらまわりは、スターの存在に気づいていない。気づいたときには手遅れだ。大パニックになること必至である。

 なんと、スター、階段の途中で立ち止まり、何やら話し始めたではないか。常人なら完全にイカれた光景だが、そこはスター、胸元にピンマイクがついているのだろう。その姿をどこか離れた場所からテレビカメラが狙ってるんだろう。オレは釘付けでスターを見つめていた。微かに声が聞こえてくる。

「どんなにおいしいか、行ってみましょう!」

 いつもの声、いつもの調子だ。
 すると、スター、またも駆け足となり、一気に階段を降りたかと思うと、オレの目の前を走り過ぎ、地下の店に入っていった。

 きっと数分後、大口開けてスターは、
「これは正しく、親子丼界のIT革命やぁー」的なコメントを発しているのだろう。
 オレはまだ店の看板を見つめていた。

 東京に出てきて30年近く、いろんなスターに出くわした。しかし、今回ほどドキドキしたことはない。

 「あの時、声をかけなくて良かった」

 そう思いながらオレは渋谷の雑踏に紛れたのだった。今年の夏、一番の出来事――。

2006年6月29日 (木)
第14回 ブロン葬

Miura14_1   男気の権化・ブロンソンが亡くなって約2ヵ月後に「ブロン葬」は行われた。
 喪主は俳優の田口トモロヲと、オレ。二人はブロンソンとこれっぽっちも血縁関係などないのに“遺族”と言い張って止まなかった。
 オレたちは’95年、東芝EMIより『マンダム 男の世界/大脱走のテーマ』というCDをリリース、ブロンソンズと名乗った。当然、ジャケ写はテンガロン・ハットをかぶり、髭(付けヒゲ)、CMで有名になった「うーん、マンダム」ポーズを取った。
“オレ、穴を掘る
 脇目も振らずに掘る
 オレ、穴を出る
 自由を求めて♪”
 オレたちが勝手に歌詞を付けた『大脱走のテーマ』は、映画の中で地味に穴を掘り続けていたブロンソンへのオマージュであった。
 オレとトモロヲさんは同い歳であり、中学時代に見た映画『さらば友よ』で、ブロンソン革命に衝撃を受けた。それは当時、世界一ハンサムとされていたアラン・ドロンと、世界一ブチャムクレと言われていたチャールズ・ブロンソンが夢の共演。しかも見終わった後、ブチャムクレの方が断然カッコよく思えた逆転の革命。それ以降、ブロンソン映画にハマリ20年後、出会うべくして下北沢の飲み屋でブロンソンズを結成した。
 主な活動はしこたま酒を飲んで、熱くブロンソン談義をすることだったが、フルアルバム『スーパーマグナム』も発表し、ちょっとした文系男気ブームを世に送り込んだ。
“いつかはブロンソンの家の前に立とう”
 オレたちの夢はこれで満足だった。だって、会っても喋ることないし……コワそーだし。
 そんなこと言っているうちに男気の権化はお亡くなりになった。せめて遺族にできることは……
“そうだ! ブロン葬だ!!”
 オレたちはその日、黒い喪服に身を包み、テンガロンと付けヒゲは忘れずに、ブロンソンの遺影を持って登場した。知り合いの坊さんにお経を上げてもらい、お焼香もした。
「いやぁー、実にいいお葬式だったね」
 二人は満足したが、仏式でよかったのかは今もよくわからない。うーん、合掌――。