“オッパイ”を、思うだけで幸せな気になる。人に聞こえないくらいの小さな声で「オッパイ……」と、呟くとさらに効果はてき面、少々の悩みなどフッ飛んでしまう。
何せ言葉の響きがいい。“チチ”とか、“ニューボー”では今一つ、あの感じは出ない。あくまで“オッパイ”は、“オッパイ”なのである。
オッパイの楽しいところは形がさまざまであるというところ。大きいのもあれば、小さいのもあり、ボトルでいえばキャップの部分もさまざまである。
赤ん坊の頃からあんなに好きなものは、なかなか飽きることはない。趣味など遥かに超越している存在なのである。
教育というものは、男にとってオッパイ以外のことを考える修業である。気を散らすために大して役にも立たないことを覚えさせられるのである。それさえ授業を始める前に説明してもらえれば“何のために?”とか、若い頃、悩まずに済んだはずだ。
それにしても“オッパイ”はいい。歳を取れば取るほど思うのは、どんどん教育から解放され本能に戻るからだ。
道を歩いていても“オッパイ”に似た形状のものをつい見つけてしまう。
コレは、寺の山門とかにくっ付いている名称が分からないもんで、オレは“オッパイ”と呼んでいるんだけど。




