第7回 戦争は“希望”なのか?
個人にとって社会を生きるとはどういうことか。それを考えさせる記事を読んだ。雑誌「論座」4月号にでている記事である。そこでは、一人のフリーターが書いた文章に対して、7人の錚々(そうそう)たる書き手が応答文を寄せている。執筆者は次の人たちだ。
佐高信(経済評論家)、奥原紀晴(赤旗編集局長)、若松孝二(映画監督)、福島みずほ(社会民主党党首)、森達也(映画監督、作家)、鎌田慧(ルポライター)、斎藤貴男(ジャーナリスト)
ことの発端はこうだ。まず、赤木智弘氏が「論座」1月号に、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」という文章を書いた。
赤木氏は、このタイトルにもあるように31歳のフリーターで、親と同居している。しかしそれが彼には屈辱的でたまらない。そんな赤木氏にとって、戦争は希望だという。なぜか。それは、戦争が社会を流動化し、現状をひっくり返してくれるかもしれないからだ。
赤木氏はひとつのエピソードをひいている。第二次世界大戦のとき、政治思想家の丸山眞男が、二等兵として派兵された平壌で、中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメられた、というエピソードだ。それをひいて、赤木氏はこう述べている。
「(社会のなかで万年フリーターとして)一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。」
七人の書き手たちの応答文は、こうした赤木氏の文章に対してだされたものである。だいたいどの応答文も、「希望は、戦争」と言う赤木氏を諭そうとしている。しかし、それらの応答文を読んで、私は考え込んでしまった。なぜかというと、それら応答文の述べていることはどれももっともであるにもかかわらず、おそらく赤木氏には響かないように思えたからだ。
たしかに応答文はもっともなことを言っている。たとえば戦争について。
赤木氏は、一部の弱者だけが屈辱を味わうような平和なら、国民全員が苦しむことになる戦争のほうがいいと言う。赤木氏にとって、いまの平和とは、「持つ者」である年長世代が自分たちの既得権益をまもるために若者に不安定な雇用と貧困を強いて、それが固定化されている状態のことにほかならない。だから平和がつづくかぎり、現在フリーターの若者たちは一生貧困のなかで屈辱を味わいつづけなくてはならない。戦争は、そうした現状をひっくり返してくれるかもしれない「希望の光」なのだ、と。
こうした赤木氏の主張に対して、応答文は、戦争が決してそんなものではないことを指摘する。戦争になったからといって、国民全員が平等に苦しむなんてことはありえない、と。アメリカを見ればわかるように、戦争になるとまっさきに犠牲を強いられるのは、まさに不安定な雇用や貧困を強いられている若者たちだ。平時に搾取される人間は、戦時においても――しばしばより苛酷なかたちで――搾取される。逆にいえば、平時に既得権や特権をもっている人間は、戦時においてもおいしい思いをするのだ。
そのとおりだと私も思う。戦争とはひとつの経済的な事業でもあり、その事業は国家という巨大な権力機構を通じてなされる。たとえ戦争によって没落する人間がいたり、成り上がる人間がいたりするとしても、そうした流動性は全体からみれば小さなもの、あるいは表層的なもので、カネの行き先や権力の所在がそれによっておおきく変わることはない。
応答文ではしたがって、こうも言われる。戦争は決して格差問題を解決しない。むしろ深刻化させるだけだ。だから結局は、若者に貧困や屈辱を強いるような社会構造を変えるためにみずからアクションをおこさなくてはならないのだ、と。
しかし、そのとおりだと思いつつも、やはり私にはこうした応答文の内容が赤木氏の心を動かすとはなかなか思えない。むしろ単なる説教にしか聞こえないのではないか、そして彼の感情を逆にかたくなにしてしまうのではないか、とさえ感じた。
というのも、「希望は、戦争」だと赤木氏が言うとき、そこにあるのは社会への敵意とルサンチマンだからだ。こんな社会なら壊れてしまえばいい、というのが戦争への希望に込められたメッセージである。事実、赤木氏は文章のなかで、フリーターというものがいかに社会からマトモに扱われない屈辱的な存在なのかをくりかえし訴えている。フリーターの若者は、便利な使い捨ての低賃金労働者として制度化されたうえに、怠けているだとか、経済を弱体化させるなどと蔑(さげす)まれる。もうコリゴリだ、と。
戦争が希望されるのは、こうした社会への敵意の延長線上で、だ。赤木氏はいう。
「我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である」
応答文は、戦争が決して問題の解決にはならないことを指摘する。しかしこのように、「希望は、戦争」という発想の根底に社会への敵意があるのなら、その指摘が説得力をもつことは難しいだろう。暴力によって社会の矛盾を解決しようという志向性の根っこには、社会から見捨てられているという感覚がある。そうした感覚のまえでは、「社会の構造を地道に変えていこう」というような意見はキレイゴトに映るにちがいない。
そもそも社会とつながっているという感覚がなければ、社会に対してポジティヴに働きかけることはできないだろう。そうした感覚をもてないとき、あるいは「社会とつながっていたい」という気持ちが裏切られたと感じたとき、そのときはネガティヴな仕方でしか社会に働きかけることはできなくなる。そして、「社会とつながっている」という感覚が自然と生まれてくるためには、仕事なり人間関係なりを通じて社会のなかで居場所を獲得し、一人の人格として認められるという社会化のプロセスが不可欠だ。
この点をめぐって、赤木氏の文章のなかには一種のためらいが見てとれる。彼は「希望は、戦争」と言いながらも、社会化の回路を完全に放棄したわけではなく、他方で「一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会」を希求しているからだ。
赤木氏は、みずからの戦争への希望を若者の右傾化の心情とかさね合わせている。その戦争への希望のうらには、社会に居場所がないという感覚がある。若者の居場所のなさと右傾化はたしかにむすびついているのだろう。文脈はまったく違うが、かつて、社会のなかに居場所がない人間に居場所をあたえ、そうした人間の人格を認めてきたのはまさに右翼やヤクザであった。ひとは、正しいことをいう人間に、ではなく、自分を認めてくれて居場所を与えてくれる人間についていく。
赤木氏も応答文の書き手たちも、フリーターの若者のおかれた状況がヒドイという認識を共有しているにもかかわらず、両者のあいだには深い溝がある。実際、それを埋めることができるような言葉が容易に見つかるとは私も思っていない。その溝は、社会化のプロセスにどのように乗れているか(あるいは乗れていないか)ということの違いに由来しているからだ。
認識しなくてはならないのは、使い捨てできるフリーター労働者をこのままいまのような状況に固定化しておくことは、たんに彼らを貧困のなかにとどめておくことだけを意味するのではない、ということだ。それはさらに、社会化のプロセスから引き離された人びとを大量にうみだすということをも意味している。社会にとってその代償はけっして小さくはないだろう。

僕が日々感じている、口先ばかりの連中に対する違和感の理由がなんだかよくわかりました。たぶん「革命」とかのごっついテーマなら、赤木氏にも、その応答者たちにも通りやすいんではないでしょうか。そういうことをリアルに語っていくときかとおもいます。
投稿: 二十代、男性、フリーター | 2007.03.07 12:15
異なった社会への希望、社会変革の領域についてぜひ論じてください。価値判断をどんどんしてください。
投稿: 二十代、男性、大学院(フリーター?) | 2007.03.08 01:15
私も『論座』の最初の論文を偶然に読み、これは反響を呼ぶだろうな、と思っていました。
POSSEのMLの中でもこれについて論じられています。
今回の萱野さんの書かれていた内容は、正に私も日々POSSEで考えていることです。すなわち、若者が自己肯定する場。これを「説教」ではなく、若者が自ら作り出していく。これが今必要なことだと思います。
投稿: 今野(NPO-POSSE 23歳) | 2007.03.09 23:12
景気回復させて自然失業率まで失業率を低下させて、あとはEITCでも導入すれば済む話では。自立がしたいのであればそれだけの所得を保障すればいい。事実、長期不況で悩む(自然失業率に達していないという意味で現在は明らかに不況です)多くの低所得層は、貧弱な日本の再分配の改善によってまず救われるはずです。
それ以上の「社会は俺に尊厳を与えろ」というような、一見矛盾した要求に応じる隘路を行く前に、やるべき事があるように思いますよ……赤木氏のような奇矯な要求が一般性を持つかどうかに拘らず。そこを見誤っているせいで、かえって赤木氏のような人を増やしてないかなという危惧さえあります。
投稿: 名無し | 2007.03.11 04:55
ブログを開設していらっしゃるとは知りませんでした。たまたま発見、ハッピーです。
革新であろうと左派であろうと、社会的に認知されているような人の言説は、正しいと思っても時として空疎に感じます。自分の現状が微妙に彼らとずれているからです。決してずれが悪いとは思いません。支配される側の階層もいく層にも細かく分かれているので当然のことでしょう。
虐げられた人々(子ども)・弱者の心は怒りでいっぱいで、それをどこで爆発させようかとスタンバイしている状態です。
その爆発力を利用するために、支配者側が意図を持って弱者の増産態勢に入っているとするならば、わたしたちはどうすればよいのでしょう。
まとまりませんでした。これからもよろしく。
投稿: carry | 2007.03.13 22:59
はじめまして。請負、派遣を掛け持ちして日々仕事のみに生きているワーキングプアの「ぷぁりー」と申します。年齢40歳、年収290万円です。
希望は戦争という意見に、私は半ば同調しました。実際、我が家は、戦時中まで駅前の土地を全て所有する大富豪だったのですが、戦後、全てを没収されて、今は貧民となっています。今、勝ち組なのは、かつての貧民たちです。戦争は、そのように体制をひっくり返せます。
ただ、私はワーキングプアとして、違った考えを持っています。それは森永卓郎氏の言う「逃散」に少し近いかと思うのですが、どんどん貧しくなって、国に迷惑かけてやろうと。
税金も納めない、何も納めない、結婚もせず子供も増やさない、その代わり補助金はせっせといただく。そうして日本という国をどん底まで沈めてやろうかと。
私はそのような考えでいるのですが。
投稿: ぷぁりー | 2007.04.03 22:35
萱野さま
テレビ拝見致しました。
とても説得力のあるお話でした。
ますますのご活躍を!
投稿: 岩下です。 | 2007.05.04 00:12
はじめまして。
少し前のvideonewsと『論座』の文書、読ませていただきました。
こちらの記事でちょっと気にかかったことが。
赤木さんは社会化されていないのでしょうか?
むしろわたしたちフリーターは、不安定労働者として社会化されてきたし、そのための「2流3流」の学歴や住宅街や就職氷河の学歴・地域・ジェンダーなどにより形成されるライフコースは、日本にもあると考えるのですが、いかがでしょうか?
投稿: ワタリ | 2007.10.14 08:51
赤木さんの、この文章は私にとって、衝撃でした。私は自分自身をアナーキーに近い左翼な愛国者であると思っております。ですが、ずっと左翼(果たして今の日本に存在するのか?)に対する違和感、小泉、草の根右翼に対する、支持の理由がやっとわかりました。今の日本は怒りが渦巻く危険な状態かもしれません。
ここ10年ほど英国系の新自由主義の先進国の末席の国(一人当たりGDPはUS$2万+)に住んでおります。ですから、社会福祉は先進国の中では最低クラスです。遺産相続税の無い国ですから、貧富の差はかなり激しい国です。引っ越してきた当時、この国で働くのはあほらしいほど低賃金(¥400/hour)でした、それが今や日本の最低賃金より余程上(約¥1000)となりました。このような小国でも、日本に比べると希望にあふれています。中年でも誰でも経済的な心配をすることなくいつでも、大学、専門学校に行く事が出来ます。国が全額その費用を貸与しその間の生活費も面倒を見てくれます。また、ある程度の年齢(約25歳)に達すれば、特別な学部を除けば、希望すれば、誰でも入学できます。復活のチャンスはいつでもあるわけです。このような小国で英語圏ですので、優秀な人材はどんどん海外に抜けていきます。例を挙げればこの国の税金で医学部を卒業した医者の2/3は海外で働いています。このような綱渡り的な政治運営を強いられてる国がよほど希望にあふれています。落ちぶれたとはいえ、未だ世界の最富裕国の一つである日本に希望が無いことの不思議さばからしさ、国民がだまされてるとは言いませんが、不要な困苦をしょわされてるとしか思えません。何年か前にこの国の首相が日本を訪問した折、違和感を表明しておりました。この国に比べたら、日本は希望に満ちあふれているし、政治、経済運営の方向はフリーハンドに近い自由をを持っているのに、なぜ希望がないと思いこんでいるのかと不思議がっておりました。もう、今の日本は不正義な人間を大切にしない社会であると思わざる得ません、その必要がないにもかかわらず。強欲な連中がのさばっています。また、それを受け入れるほど日本の知力も落ちているのでしょうか、そんな事はないと思いますが、その可能性がありそうで怖ろしく思っております。
投稿: 山田 | 2007.11.17 02:25
6月に東大で「人間の安全保障」のパネラーをやられるようですが、
グローバル資本主義と一体感のあるこの援助の言説には、どうお考えですか?
投稿: 高井 正夫 | 2008.05.22 11:20
<<ひとは、正しいことをいう人間に、ではなく、自分を認めてくれて居場所を与えてくれる人間についていく。
マスコミや国会議員などがワーキングプアの問題を論じているが、彼らの年収は軽く1000万以上。<正しいこと>を言っても、信じられるわけない。
若年ワーキングプアの問題を解決する手立ては、ただ一つ。老人に使っている医療費を若者の教育費に思い切って使う。これしかない。
投稿: きなこ | 2008.08.19 10:23